グリゴリー・ソコロフ シューベルト 3つのピアノ小品D946ほか(2013.5.12Live)

大洪水は歓楽に明け暮れする都会をも見逃すことはなかった。それはあたかも角を振り立てる牡牛のように都門を襲い、城壁に泡立つ波を沸き返らせ、滝となり、奔流となって一挙に家々と住民を押し流したのだ。
(第十一の旅 「緑の枝 ある洪水に襲われた山野の物語」)
ニコラ・プッサン「冬またはノアの洪水」
「辻邦生全集8」(新潮社)P437

グリゴリー・ソコロフは飛行機嫌いだそうだ。
だから、彼の実演を聴きたいならば、僕たちは欧米の、リサイタルが開催されている現地にまで足を運ばなければならない。
録音を聴く限りにおいて、独特のフレージング、何より絶妙な「間合い」(0コンマ何秒というタメが実に効果的)と深い呼吸が織り成す音の構築物の絶対性、そして、それが聴く者に与える得も言われぬ感動の歓喜はこの人が只者ではないことを証明する。

永遠のフランツ・シューベルト。
即興曲も3つのピアノ小品も、わずか31歳で夭折した彼の最晩年に生み出されたものだ。
いつまでも終わることのない永遠の調べが、物理的な長さを超えて心に沁みる。ましてソコロフの表現は長尺の作品を時間をかけて再生するものにも関わらず時間そのものを忘れさせるのだから衝撃的。何と素晴らしい、そして何て美しい音楽をシューベルトは書いたのだろう。

ワルシャワのフィルハーモニック・コンサートホールでのライヴ録音。

シューベルト:
・4つの即興曲D899 作品90(1827)
 第1番ハ短調アレグロ・モルト・モデラート
 第2番変ホ長調アレグロ
 第3番変ト長調アンダンテ
 第4番変イ長調アレグレット
・3つのピアノ小品D946(1828)
 第1番変ホ短調アレグロ・アッサイ
 第2番変ホ長調アレグレット
 第3番ハ長調アレグロ
グリゴリー・ソコロフ(ピアノ)(2013.5.12Live)

心象風景ともいえるシューベルトの傑作たち。旋律は哀愁を帯び、歌は伸びやかにどこまでも広がる。死を前にしたシューベルトがそのことを悟っていたのかどうかは定かでない。しかし、享楽の、豪奢な人間存在を嘲笑うかのように、シューベルト自身はあっという間に死神にとってやられてしまった。即興曲に垣間見る退廃美をグリゴリー・ソコロフは無心に奏でる。彼の心底にあるのは不安で間違いなかろう。負の情感こそシューベルトの音楽に生命力を与えることを彼は知っていた。

死の年の3つのピアノ曲D946は、渾身の名演奏だ。
暗い情熱を湛える第1番変ホ短調に対し、いかにも希望を見出さんと優しく囁く第2番変ホ長調の極上の対比が見事。

「おっしゃる通りですね。自然でも人間でも神の作り給うた美しいものですが、誰もそれを心から楽しんではいませんね。ご主人も坊ちゃんを大事に思っていますが、それも膨大な財産を守ってゆく後継ぎとしてですね。この赤ちゃんのすべすべした肌や、甘いいい匂いや、澄んだ黒い眼の美しさに心を動かされることはないのです。人間が、静かな風景や、いきいきした人の動きを心から愛せないというのは本当に残念なことですね」
あの大雨が始まったのは、特別に暑いその年の夏の終りであった。私は長者一族とエノク夫婦とともに都会から二十里ほど離れた山中の別荘に暑熱を避けていた。そのとき、雨が突然篠つくように降り出したのである。それは一瞬たりとも止む気配のない雨だった。朝から晩まで滝のように降り通し、夜になっても翌朝になっても、弱まるということがなかった。物凄い量の水がどっどと木立を打ち、地面を打ち、屋根を打った。

~同上書P438

世界は生きている。地球もすべての動物も植物も同胞だ。

過去記事(2016年2月15日)

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