ミュンシュ指揮ボストン響 ベルリオーズ レクイエム(1959.4録音)

レクイエムのテクストは、長い間喉から手が出るほどほしいと思っていた獲物であった。ついに、それが手に入ったのだ。私は猛り狂ったようにこの獲物に飛びついた。頭のなかは熱くたぎる楽想ではち切れんばかりになり、一曲分の構想をスケッチし終えないうちに、もう次の曲の構想が浮かんでくるというありさまであった。
(エクトル・ベルリオーズ/池上純一訳)
井上太郎著「レクイエムの歴史—死と音楽との対話」(平凡社)P191

ベルリオーズのレクイエム。83分を要する稀代の声楽作品は、敬虔な鎮魂曲というよりむしろ自己顕示の強い、それでいて美しい旋律の頻出する、声楽を伴った大交響曲だと言える。それは、マーラーの方法の先達であり、その抜群の空想力は言語を絶する。
音楽家エクトル・ベルリオーズの内的世界を具に知るにつけ、人間離れした前衛性(?)に拝跪したくなるほどだ。

危険は目に見えてやってくる。生きている存在はほとんど消え去った。深い霧を落としているあの灰色の空を飛ぶ巨大な翼をもった大きな鳥以外には、水の島の上に立っている間抜けなペンギンの一群しかいない。彼らはやせこけた餌を取り、小さな羽をばたつかせているが、空を飛び回るための羽はもっていないのだ・・・。船員たちの口数は少なくなり、ユーモアは影に隠れてしまった。そして彼ら同士で交わし合っている聞いたこともない台詞が船のデッキの上で聞こえるが、それはトラピスト修道会の僧が言う葬式の台詞とあまり変わらない。「兄弟よ、死なねばならぬ!」
しかし、彼らの憂鬱にとらわれたままになるのはやめて、黒い考えを追い出そう。そして軽やかな声で、大変有名なこの陽気なフレーズを歌おうではないか。
Dies irae dies illa cruces expandens vexilla solvet seclum in favilla.

「終わり楽しければすべてよし」
エクトル・ベルリオーズ/森佳子訳「音楽のグロテスク」(青弓社)P364-365

こういう(飛び抜けた)想像が、常に革新的創造力に結びつくのだから怖いものなし。
シャルル・ミュンシュがボストン響と残した録音が、素晴らしい。60余年の時を経てなお色褪せず、作品を顕示するよりその精神性を見事に捉え、音化しようとする指揮に逞しさと同時に優雅さを感じるのである。

第6楽章「ラクリモーサ(涙の日)」の楽天と愉悦。

ベルリオーズ:
・レクイエム作品5(1959.4.26&27録音)
・歌曲集「夏の夜」作品7(1955.4.12&13録音)
レオポルド・シモノー(テノール)
ニューイングランド音楽院合唱団(合唱指揮:ローナ・クック・デ・ヴァロン)
ヴィクトリア・デ・ロス・アンヘレス(ソプラノ)
シャルル・ミュンシュ指揮ボストン交響楽団

祈りの第9楽章「サンクトゥス」での、シモノーの独唱と合唱の対話が、実に静謐で美しい。そして第1楽章と第8楽章を引用した終楽章「アニュス・デイ」の、俗世の輪廻を模すような自然美は、合唱の「アーメン」という唱和によって大きく閉じられる瞬間に不思議な安心感に満ちる。

一方、ロス・アンヘレスを独唱に据えた歌曲集「夏の夜」の、室内楽的な、太く深みのある可憐な響きに心が感応する。例えば、「君なくて」での哀感帯びる声は彼女の真骨頂であり、ミュンシュの伴奏も負けず劣らず思念がこもる。涙なくしては聴けぬくらい。

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