悲劇は、非論理的ではないどころか、その逆である。非論理的というか、その前提において恣意的で、それは致命的結果となる論理に従って展開するのである。不慮の死は、悲劇のもう一つの主要な側面であり、それぞれの原因が結果を引き起こすという形式的な方法ではなく、可能性のあるすべての出来事を支配する、完全で、あらかじめ定められた法則としてのものである。
(ルネ・レボヴィッツ「アントン・ヴェーベルンの悲劇的芸術」
~ハンス・モルデンハウアー/鷺澤伸介訳「アントン・ヴェーベルンの死」
難解な言葉で書かれているが、要はすべては因果の法則の中にあるということだ。
1945年9月15日、アントン・ヴェーベルン急逝。
娘の家で、娘婿に間違われ、アメリカ兵の誤射によって命を落としたのだといわれているが、どうやら真相は違うようだ。上記の論文を精読し、僕はとても驚いた。
当時闇取引に関与していた娘婿を逮捕し、連行するため部屋を出た銃撃の当人(アメリカ兵)が、外で煙草を吸っていたアントン・ヴェーベルンとふいにぶつかり、攻撃されたと思い込んで正当防衛のため至近距離から銃弾を3発放ったのだという(そのアメリカ兵は、性格は悪くないものの普段からとても神経質で刺激を受け興奮しやすい人物で、そのときも相当な興奮状態にあったそう)。故意とはいえないまでも、不慮の事故(?)に言葉がない。命の儚さだが、それが寿命だと言えば寿命であることの切なさ。以前も書いたが、因果律の中にあってどうにもならないのが生死の問題。それは、超生了死の術を持たなければこその人類の最大の問題でもある。
最小限の構成の中で目を瞠る凝縮された美。
ヴェーベルンの音楽の礎はヨハン・セバスティアン・バッハへの傾倒にある。
あるいは、アルバン・ベルク同様、アルノルト・シェーベルクを師と仰ぎ、数多を教授していただいた幸運の賜物である。しかも彼は、独自の方法で、独自の路線を切り開き、後世の天才たちに大いなる影響を与えた。
すべてが愛らしく、そして可憐だ。
余分なものを排除し、計算され尽くした芸術作品の研ぎ澄まされた知性の中に浸る勇気と興奮。ブーレーズが残した新しい「ヴェーベルン全集」が実に素晴らしい。
初期のピアノ五重奏曲にある官能と浪漫はヴェーベルンの内なるパッションの証明であり、それをまたブーレーズは何と冷徹に表現、解釈することか。熱波と冷静さの見事なバランス。そして、時代の変遷とともにより緻密に、より頭脳的に変貌してゆくヴェーベルン音楽の粋。ポレやエルツェの情感こもった歌もまた素敵。