フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル ブルックナー 交響曲第4番「ロマンティック」(1951.10.29Live)

ヒストリック録音の愉しみ。
音楽とはそもそも自由だ。
神聖なる創造行為であるにしても、音を譜面に残すことは、真理を文字化するのと同様に完全にすることは不可能ゆえ、十人十色、様々な解釈があって当然。それに、どんな解釈であろうとそれを受け容れることができる器の大小こそ作曲家の天才の成せる業なのだと思う。
その意味で、アントン・ブルックナーの音楽は未来の音楽であり、極めて広大な器を持つ。

初めにロゴス(真理)ありき。

あらためてフルトヴェングラーの指揮による交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」を聴いた。フェルディナント・レーヴェ改訂版による演奏は、動的でまた生き生きとし、実に感動的だ。

2回目の演奏は、実際の所要時間も心理的な感じも全般的により速いペースとなり、フルトヴェングラーは歓喜の流れを作り出し、一気に世俗的な不安感から超絶的な安心感へと昇る。この演奏では、作品そのものが単なる一つの統一体以上のものとして展開する。その終りはすでに始まりの中に暗示され、その複雑なもつれは、かすかながらすばらしい解釈を示し、そこへ向かってブルックナーが昇っていく。
サム・H・白川著/藤岡啓介・加藤功泰・斎藤静代訳「フルトヴェングラー悪魔の楽匠・下」(アルファベータ)P366

何より終楽章コーダにおけるブルックナーの昇天(?)のごとくの解放が、力に満ち、感動的。

・ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」(改訂版)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1951.10.29Live)

フルトヴェングラーのブルックナーへのただならぬ愛着。

欠点を、まるで長所であるかのように提示してはならない。たしかにブルックナーには欠点(一定していないとか、粗野な部分があるなど)がある。しかし、欠点がなければ偉大なものが生み出されると考えるのは、俗物根性である。ブルックナーの偉大さがより印象的なのは、欠点を克服して、欠点を欠点なりに重要なものに仕上げているところにある。たしかに彼はすべての楽章を、その出だしの高い水準のまま維持することが、必ずしもできなかった。とはいえ、あのような高水準の出だしは他のどこに見つけ出せるだろうか。
(1939年)
~同上書P368-369

不完全であるがゆえの完全。
出だしはもちろん逸品だが、ブルックナーの場合、多くは終楽章に頂点があり、「ロマンティック」の場合も同じくだ。その点で、終楽章にクライマックスを措いたフルトヴェングラーの解釈は絶品といえる。伸縮激しい、ドラマティックなフルトヴェングラーのブルックナーは、ブルックナーの一つの側面を示す。

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