
フランツ少年はピアノ、ヴァイオリン、オルガンのほかに歌唱、和声学を学び、ホルツァーが「私は何も教えずに、ただ彼と話をし、静かにじっと彼を見守っているだけだった」と言うほど音楽の才能を発揮していた。別にシューベルトは過酷な練習を強制されたわけでもなく、また誰の目にも明らかな彼の音楽的才能を利用されることもなかった。まったく自然に音楽を吸収し、また発表していたのだ。自然体が彼の生き方であった。
~井形ちづる著「シューベルトのオペラ オペラ作曲家としての生涯と作品」(水曜社)P30
無為自然。
同時に、新しい感性でシューベルトは未来の音楽を創造した。
シューベルトの音楽の特徴に、大胆な転調がある。当時の和声学ではとうてい禁則であったような信仰を平気で行なっている。ホルツァーはきっと、和声の規則としてはシューベルトの作曲したものに眉をひそめたに違いない。しかし何か違う新しい感性を感じたのであろう、シューベルトの優れた素質をそのまま自然に育てたのである。
~同上書P30
師の大いなる度量があっての自由自在。
シューベルトにとって師との出会いも大きな分岐点だったのだと思う。
数多のリートを生み出したシューベルトの天才。
すべてが新しく、そして颯爽と心に迫る重みがある。
しかも、ピーター・ピアーズとベンジャミン・ブリテンという黄金デュオの歌に通底する人間らしい慈愛の顕現が彼の歌曲に色を添える。
愛するピアーズの浪漫の歌唱に寄り添うブリテンのピアノ伴奏の哀感。
永遠のシューベルト歌曲を思いを込めて歌い切るピーター・ピアーズは楽天家であり、一方のブリテンは悲観主義者だったのかどうなのか。陰陽の、悲哀と愉悦のバランスがこれほどまでに鋭利に刻印されるシューベルトがあろうか。