1936年に私は文部大臣ハンス・ペルンター博士から一通の手紙を受けとった。それは生涯にわたる私とウィーンとの結びつきを示唆しながら、私に国立歌劇場の芸術上の指導をひき受けるよう要請してきたものであった。運営上の指導は真に私に心服していたケルバー博士の手にあったし、首相や文部大臣の信念にも疑わしい点はなかったので、私はこの重要な職をひき受けなければならないと思った。ケルバーと私とによって、ウィーン国立歌劇場とザルツブルク芸術祭とのあいだの円滑な調整も可能になるだけに、なおのことであった。
~内垣啓一・渡辺健訳「主題と変奏—ブルーノ・ワルター回想録」(白水社)P424
ウィーン時代のブルーノ・ワルターの、残されたいくつもの音源を聴いて思うのは、柔和でふくよか、豊饒な音の背後にある意志の強固さである。録音から80年近くを経ても、それぞれの音楽の躍動感と生命力は、最新の録音すら凌駕する。まさに人類永遠の至宝と言っても言い過ぎではなかろう。
今ウィーンの住まい(ウィーン十八区テュルケンシャンツ通り20)に、ぼくらがベルリンから取り寄せた家具を、とても美しく、とても快適に飾り付けた。ロッテにもウィーンで自分の住まいを持たせてある。万事はめでたしだが、ヨーロッパの痙攣と地鳴りのなんらかによって、われわれは再びオーストリアから追放されないなどと、だれが知ろうか?世界の様相は切迫しており、すべてのことを覚悟しておかねばならない。
(1936年1月20日付、アルトゥル・ガブリロヴィッチ宛)
~ロッテ・ワルター・リント編/土田修代訳「ブルーノ・ワルターの手紙」(白水社)P231
ワルターのこの直感はそれほどの時を経ずして現実となった。
不穏な空気感の中だからこそ、切迫した状況であったがゆえ、音楽は一期一会的となり、魂にまで響く音調を獲得したのかもしれない。ちょうど81年前に収録された、速いテンポで進められる「レオノーレ序曲第3番」の鬼気迫る様子が、重苦しい序奏から実に生々しい(ワルターの内面にある世界への怒りが具に表現されたであろう素晴らしさ)。
・ベートーヴェン:レオノーレ序曲第3番作品72a(1936.5.21録音)
・モーツァルト:セレナード第13番ト長調K.525「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」(1936.12.17録音)
・ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」(1936.12.5録音)
ブルーノ・ワルター指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
古色蒼然たる音色の背後に、途方もなく広がる典雅な響き。
もはや言い尽くされた、ワルターの戦前の名演奏であり、また名盤。経済的困窮の最中にあったとは思えない、モーツァルトの生み出した旋律の中でも一、二を争う、一分の隙もない音楽「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」の、「ちょうど良い」理想的なテンポ、アゴーギクとデュナーミクを持つ(旧い録音からも匂い立つ)見事な再現。
そして、同じく言わずと知れたベートーヴェンの「田園」交響曲。終楽章「牧歌、嵐の後の喜ばしい感謝の気持ち」の神々しさ、特にコーダの崇高さがマイクに入り切っていないことが実に残念だが、(少なくとも僕にとって)それ以外は何も言うことのない美演。何より第2楽章「小川のほとりの情景」が絶品。
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