アバド指揮ロンドン響 モーツァルト 交響曲第40番K.550(1979.10録音)ほか

モーツァルトには、他人の才能を認める鋭敏さがあった。ベートーヴェンという名の生意気で若く無名の音楽家が、賛め称えるべきモーツァルトのために演奏すると言い張った時、彼はいたく感心した。そばにいた友人たちに向き直ると、予言となる言葉を発したのである。「この男に目を留めていろ。いつの日か、世の中に語り継がれることをなし遂げるだろう」。後年、ベートーヴェンは賛辞を返すことになった。1826年にはこう書いている。「私はいつでも、自分をモーツァルトの最大の賛美者の一人とみなしてきた。最後の息を引き取る時まで、それは変わらないだろう」。
パトリック・カヴァノー著/吉田幸弘訳「大作曲家の信仰と音楽」(教文館)P52

僕の音楽遍歴のはじまりに、ショパンがあり、モーツァルトがあった。
ショパンは英雄ポロネーズに衝撃を受けた。(ベートーヴェンはもう少し後)
また、モーツァルトはト短調交響曲の冒頭に一聴釘付けになり、繰り返し幾度も聴いた。それはベーム指揮ウィーン・フィルによる演奏だった。

それからしばらくして僕は大変な名演奏に出会った。
それは今でも僕の座右の音盤であり、おそらく生涯手放せない1枚になろうと思われるものだ。

ト短調交響曲の愁い。そして、ハ長調交響曲「ジュピター」の雄渾。
いずれも現代オーケストラを十二分に鳴らした音響ながら、実に透明感の深いもので、それだけでこの人を天才だと思う僕がいた。

モーツァルト:
・交響曲第40番ト短調K.550(初版)(1979.10録音)
・交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」(1980.1録音)
クラウディオア・アバド指揮ロンドン交響楽団

40余年を経てもこの演奏は色褪せない。
アバドは後に再録音しているが、圧倒的にそれを凌駕する自然体のモーツァルト。
もはや僕がここで何かを云々することは不要だろう。
僕の心の片隅にいつも存在するアバド指揮ロンドン響によるモーツァルト。
美しい。

232回目の命日に。


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