アンリ ルガズ カシュマイユ デュトワ指揮モントリオール響 ドビュッシー 歌劇「ペレアスとメリザンド」(1990.5録音)

おおむね独学ですが、私の師匠はドビュッシーだと思っています。ドビュッシーがどうして私にとって価値ある存在かというと、かれの音楽はいくつかに要約できるけれど、大事なのはその色彩、光と影だと思います。それは独特な管弦楽法において顕著です。一個の主題を強調するのではなく、音響焦点を複数にした、一種の汎焦点のようなオーケストレーションは類例のないものです。
「夢と数」(1984年4月30日Studio200.(東京)において行われた講演による)
「武満徹著作集5」(新潮社)P28

武満徹の著作から学ぶことは多い。
こと音楽に限らず、すべての学問はもとより、人間、自然、すべてを包括した営為というものがそこには働いている。

完璧なひとつの音楽作品を創るということよりも、音が鳴り響いている時間に、どんなアプローチをするか、それに関心があるわけです。それはすでに述べた、「音」に対しての私の感じ方・捉え方と、密接に関わっていることだと思います。
「自然」(1984年5月1日Studio200.(東京)において行われた講演による)
~同上書P32

音色、色彩、そういうものは演奏者が変われば自ずと変わる。
武満の音楽はそういうものまで包含したところに真髄があるのだろうと思う。
だからこそ彼は音響そのものにこだわったのである。

さきほど音源ということを言いましたが、前に述べたように、それはドビュッシーの音楽から学んだことです。ドビュッシーの場合は、ドイツ音楽のオーケストレーションとは違って、そこに無数の音楽的焦点が設定されている。ドビュッシーは、もちろんヨーロッパ人ですから、当然私とは感受性が違いますが、それでもドビュッシーは日本や東洋に学んで、彼の個性は独特なオーケストラの様式を創りあげました。それをまた私は学んでいます。そして自分の感受性、多くのものによって培われた自己の感受性によって、オーケストラというものと向かい合いたいし、自分なりの表現というものを手にしたいと考えています。
つまり、ひとつの音像というか、単一な音楽的イメージに焦点を絞らないで、汎焦点的にオーケストラというものを作りあげて、それはひとつの小さな音響庭園ではあるが、この世界の仕組を映している、というようなものにしたいと思うのです。

~同上書P33

対立を前提としてその解決を導く弁証法的ソナタ形式に抗って、いわばドビュッシーは自然的調和を具現化しようとして革新的方法を編み出した。そして、その影響をまったくの独学で吸収した武満徹の慧眼。
そう、メロディ、リズム、そして和声で成立するとされる音楽には、本来色彩というものが加味されねばならない。まさに武満の言う「音が鳴り響いている時間に対するアプローチの方法」こそが胆だということだ。

クロード・ドビュッシーの革新の結論たる歌劇「ペレアスとメリザンド」。
いつぞや(ちょうど9年前!)シャルル・デュトワ指揮NHK交響楽団による演奏会形式での実演に触れたときの感激たるや。音の響きそのものは実演に触れてこそだと思うが、あのときのオーケストラの神秘的な弱音や歌手の官能的な歌には、今思い出しても鳥肌が立つほど。あれは一世一代の体験だったと思うが、なかなか録音では正直追体験までは叶わない。
しかし、幸いにも僕たちはそのデュトワによる美しい録音を有しているので、せめてその輪郭だけでも再享受したいと思い、久しぶりに取り出した。

・ドビュッシー:歌劇「ペレアスとメリザンド」(1893-1902)
ディディエ・アンリ(ペレアス、テノール)
コレット・アリオット・ルガズ(メリザンド、ソプラノ)
ジル・カシュマイユ(ゴロー、バリトン)
フランソワ・ゴルフィエ(イニョルド、ソプラノ)
ピエール・トー(アルケル、バス)
フィリップ・アン(医師/羊飼い、バス)
クローディーヌ・カールソン(ジュヌヴィエーヴ、アルト)
イワン・エドワーズ(合唱指揮)
シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団&合唱団(1990.5録音)

文字通り「色彩、光と影」の妙!
なるほど、第2幕第3場、洞窟の前でのペレアスとメリザンドの邂逅シーン!

月が入口をはっきり照らしている。洞窟のなかにも射しこんでいる。とある岩かげの窪に、白髪の乞食が3人、ひたと寄り添って坐り、抱きあうようにして、岩にもたれて眠っている。

メリザンド あれは。
ペレアス え、何か。
メリザンド あそこに、そら・・・そら・・・
 3人の乞食を指さす。
ペレアス あ、ほんとだ。ぼくにも見えた・・・
メリザンド 行きましょう・・・早く、早く・・・
ペレアス ええ、ええ・・・年をとった乞食が3人眠っていました・・・ひどい飢饉がこの国をいためつけているのですよ・・・
どうしてあの乞食たちは、こんなところまで寝に来たのだろう・・・
メリザンド 行きましょう・・・さ、こっちへ、こっちへ・・・早く・・・
ペレアス 気をつけて、そんなに大声を出しては駄目・・・目をさますといけないから・・・まだ眠りこけている・・・さ、早く。
メリザンド 手を放してちょうだい、放して。離れて歩くほうがいいわ・・・
ペレアス またいつか、いっしょに来ることにしましょうね・・・

メーテルランク作/杉本秀太郎訳「対訳ペレアスとメリザンド」(岩波文庫)P73

この短い、しかし意味深な対話に付された音楽の静けさ、あるいは官能!
(官能という言葉はあまりに陳腐で相応ではないが、この官能は決して開けっ広げのものでなく、繊細で、秘めた、実に謎めいたものであることを感じさせるところがドビュッシーの創造力の勝利というところだろう)。
第3幕第4場、ゴローとイニョルドによる不穏な(?)対話のシーンの暗い美しさが堪らない。

過去記事(2015年1月29日)
過去記事(2014年12月5日)


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