ベーム指揮ベルリン・フィル ベートーヴェン ミサ・ソレムニス(1955.1録音)

フルトヴェングラー逝去前後のベルリン・フィルの様子が興味深い。

ベルリン・フィルには、高度な教育をまったく受けたことのない音楽家も含まれていました。ナチ時代に入って優秀な教師がいなくなり、次に戦争が始まって、あとに続くべき多くの若手音楽家が前線に駆りだされ、音楽を学ぶ時間などなかったのですから! 当時のベルリン・フィルでは、正確なリズムがきちんと守られているとは言えませんでした。こうした団員たちが育んだ、いくらかぼんやりした演奏は、ブラームスなどドイツ・ロマン派の音楽には通用しますが、ストラヴィンスキーやラヴェルとなると無理です。
(オーレル・ニコレ)
ヘルベルト・ハフナー著/市原和子訳「ベルリン・フィル あるオーケストラの自伝」(春秋社)P227

チェリビダッケの不器用かつ厳しい要求に、当時のオーケストラは応えることができなかった。最晩年のフルトヴェングラーでさえ、彼がオーケストラを壊して、一新してしまうのではないかと危惧したほどだという。

Cは、アメリカ的な楽団—規律がとれて標準化した模範的なオーケストラを頭に描いているようです。そうなればベルリンとドイツが共にドイツの伝統を守り、信じるという、この最も大事な時期に、その伝統を放棄する結果になってしまうでしょう。
(ヴィルヘルム・フルトヴェングラー)
~同上書P228

感性、感覚の違いといえばそれまで。しかし、そもそも感性に優劣などない。時代の流れとともに公衆から支持されるスタイルに変化は当然起こる。浪漫(音楽)の時代から機能(オーケストラそのもの)を重視する時代への過渡期にあったオーケストラの演奏は、実に熱い。そこには、崇敬するシェフを失った悲しみと、新しい時代に向けて新機軸を拓こうと実践する挑戦心が常々刻印される。

カール・ベーム指揮するミサ・ソレムニスの熱気(イエス・キリスト教会でのレコーディング)。

・ベートーヴェン:ミサ・ソレムニス(荘厳ミサ曲)ニ長調作品123
マリア・シュターダー(ソプラノ)
マリアンナ・ラデフ(アルト)
アントン・デルモータ(テノール)
ヨーゼフ・グラインドル(バス)
ヴォルフガング・マイヤー(オルガン)
ベルリン聖ヘドヴィヒ大聖堂合唱団
カール・ベーム指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1955.1録音)

声楽陣の歌唱から、実に人間臭いミサ・ソレムニス。
音楽よりも人間そのものを感じさせる演奏である。その是非は、聴く者の好みによるが、作曲当時のベートーヴェンの、様々な苦境や苦悩の中での創作を鑑みると、ベーム指揮ベルリン・フィル盤のような、いかにも俗世的な演奏の方がより相応しいのではないかと今の僕には思えてならない。
例えば、サンクトゥス楽章、ベネディクトゥスでのヴァイオリン独奏の温かい音、それを伴奏する各楽器の慈しみの音は、機能を重視するベルリン・フィルの音ではなく、フルトヴェングラーの遺した、音楽を重視するオーケストラの音だ。

ベートーヴェンは8月末まで黄疸に苦しみヴィーンに戻ることはなく、9月に入っていくぶん回復してきて、シュタウデンハイム医師の勧めで9月7日にバーデンに保養に行った。そこで始めたのがまた「パンのための仕事」で、翌1822年初めにかけての半年弱の間、ピアノ・ソナタ(Op.110とOp.111)の作曲に従事した。それが終わった1822年3月頃から、とくにまだ手を付けていないアニュス・デイ楽章ドナ・ノービス部分を中心として、ミサ曲を再開し、それが8月頃まで続いた。9月には《献堂式》の10月3日上演に向けての作業に取り組むことになった。それが終わると気分を一新したのかシンフォニー第9番のスケッチを試みるが、すぐに打ち切って、3年間放置していた《ディアベッリ変奏曲》(Op.120)を仕上げようと決意する。
大崎滋生著「ベートーヴェン像再構築3」(春秋社)P981

パンのためであろうと何であろうと、(病にあった)この時期のベートーヴェンの崇高なる創造力と集中力には舌を巻かざるを得ない(しかも彼はこれを、典礼のためでなく、自身の「精神的制作物」として世に送り出したのである)。
深遠なるアニュス・デイ楽章の、指揮者の思念に、独唱陣もオーケストラも渾身の想いで応えるよう。また、ドナ・ノービスでの独唱と合唱の応答の壮絶さ、さらに、アニュス・デイ再現での鬼気迫る響き、最後のプレストでの解放と喜びよ!

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