ノルドモ=レフベルイ ルートヴィヒ クメント ホッター クレンペラー指揮フィルハーモニア管 ベートーヴェン 交響曲第9番「合唱」(1957.10&11録音)

1923年のオットー・クレンペラー。

またベルリンに出かけて、フィルハーモニー管弦楽団と演奏会をおこなった。曲目はハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの交響曲である。「並はずれて背が高く、その突き刺すような眼光がマーラーを思わせるクレンペラーが指揮台にあがったとき、会場に軋む音が走った」と、のちのベルリン・フィルハーモニー管弦楽団支配人は半世紀後に回想し、つぎのように書いている。「その感嘆の念を起こさせるオーケストラ装置の把握力は、ただでさえ巨躯のクレンペラーの姿の虜になっていた聴衆にもすぐさま伝わった。(・・・)感激した聴衆は、非常に個性的で伝統的解釈とはまったく異なるものを聴いたのである。フィルハーモニー管弦楽団は、いつもの柔らかく豊満な音ではなく、少々無愛想ながらも、たいへん透きとおり、均整のとれたオーケストラの響きを出しはじめた。(・・・)20年代のベルリンでは、オットー・クレンペラーのような比較的若い(・・・)指揮者が、これほどの大当たりをとることは滅多になく、彼の解釈もフルトヴェングラーやヴァルターのほとんど正反対と言えるものだった」。
E・ヴァイスヴァイラー著/明石政紀訳「オットー・クレンペラー―あるユダヤ系ドイツ人の音楽家人生」(みすず書房)P146

おそらく熱気にあふれる若きクレンペラーの演奏が、聴衆を虜にしたことは間違いない。果たして曲目は何だったのか、気になるところだが、それは横に置こう。度重なる不慮の事故に遭いながらそのたびに不死鳥のように蘇ったクレンペラーに与えられた時間は、彼の芸術の素晴らしさを後世に知らしめるために晩年のEMIへの録音に結実した。

ベートーヴェンを聴いた。
ときに愚鈍ともいえる巨躯さながらの造形を無様に披露した巨匠の演奏は、晩年のEMI録音ともなるとすべてが素晴らしく、整ってまた美しい。ブルーノ・ワルターの慈しみとは違う冷徹さがそこにあり、アルトゥーロ・トスカニーニの熱狂とも違う重厚さが内在し、しかもヴィルヘルム・フルトヴェングラーのうねりとは明らかに違うエネルギーの溢れる音の魔法。なるほど、1929年、ベルリンに当時のマエストロたちが一同に会した中にエーリヒ・クライバーの姿もあったが、そのクライバーの推進力とも異なる向かい風のような、反骨心がオットー・クレンペラーのベートーヴェンにはあった。特に、第9番ニ短調!!

・ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調作品125「合唱」(1823-24)
オーゼ・ノルドモ=レフベルイ(ソプラノ)
クリスタ・ルートヴィヒ(メゾソプラノ)
ヴァルデマール・クメント(テノール)
ハンス・ホッター(バリトン)
フィルハーモニア合唱団(ヴィルヘルム・ピッツ合唱指揮)
オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団(1957.10.31&11.21-23録音)

ウォルター・レッグとウォルター・ジェリネクのプロデュースによる逸品。
崇高なる第3楽章アダージョ・モルト・エ・カンタービレに心が動いた。無心の、無我のベートーヴェンの愉悦の音楽よ。終楽章でこの調べをあえて否定せずとももはやこの楽章で世界同胞は一つになっているのだと思う。
そして、終楽章「歓喜の歌」に至る管弦楽の醸す波動に心が揺れる。ホッターのレチタティーヴォの堂々たる歌、フィルハーモニア合唱団の喜びの合唱に年の瀬迫る2023年を回顧しての感謝の念が同期するようだ。

彼は自分が感じたことを聴衆に伝えるのではなく、作品自体を伝えるのです。(・・・)彼のなかで作用するデモーニッシュな力が(・・・)以前はもっと極端に走って度を越すことはあったでしょう。しかし今や、断固たる意志が彼のもとで働いているのです。(・・・)彼の断固さと途方もない意志の力は音楽以外のものに(・・・)結びつくのではなく、この緊張がまさに芸術作品における事の適切さに的中する方向に向かっている点で、彼はじつは古典的な音楽家だと思えるのです。
(ヴィリー・シュー、1965年)
~同上書P221


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