私の音楽の中には、絶対に変わらない側面と、めまぐるしく変化する要素とが共存しているように思います。
変わらないもの—それは、私の音楽は空間の中のひとつのオブジェだということです。つまりベートーヴェンやワーグナーとは違って、私の音楽は、どこかに行こうとして、その過程にあるものではなく、ただ単にそこにある—そういった静的な姿を理想としているのです。これは、もしかするとドビュッシーに対する深い愛情から生まれた姿勢なのかもしれません。そして、これだけは、50年代の後期から今日に至るまで、ずっと一貫して続いている考え方だと言えるでしょう。
(1991年10月28日、ホテル・オークラ 山里にて)
~「武満徹著作集5」(新潮社)P173
武満徹との対話の中でジェルジー・リゲティが語った言葉である。
目から鱗が落ちた。
彼のいう、そういう視点で彼の作品を今一度聴いた。音楽のじんわりと心に沁みる、その染み方がまったく違った。確かに人間の創造物に絶対のものはない。すべては相対の中にあり、必ず変化するものだからだ。しかしながら、ドビュッシー同様、彼が静的な姿、おそらく真理そのものを理想としていただろうことは容易に想像がつく。リゲティが東洋的な精神に感化され、日本の雅楽に感動したことも頷けるというものだ。
私は日本の文化に深い関心と敬意を持っています。例えば2年ほど前に初めて雅楽を聴いた時の感動は、今でも忘れることができません。何と素晴らしい芸術だろう、と思いました。優美で奥床しくて、完全にバランスがとれている。私が日本の伝統に深い興味を抱いたのは、実はそれからです。
~同上書P176
リゲティは日本人の特性を謙虚さだとしているが、確かに古来の日本芸術にはそういうものが刻み込まれていたかもしれない。否、今でも日本精神の奥底に存在するそういうものは歴と刻印されている可能性もある。「静かであること」を目指したリゲティの本質は、いわゆるヘーゲルの弁証法的思考とは正反対のところにあるのだろうと僕はあらためて思った。
戦後、共産化した祖国にあって、リゲティの作風はそれでも変転、進化した。ハンガリーの民謡採取、そこから体制にある意味迎合せざるを得なかったものの、先の民俗音楽への知悉からありきたりの「社会主義リアリズム」に陥らなくて済んだこと、そしてオーストリアへの亡命後の人生の新しい局面でのミクロ・ポリフォニーから全音階的であり、また半音階的でもあるポリフォニックなスタイルを実験的に成していった創造力。彼はラッキーだったのだ。と同時に、常に謙虚で勉強熱心だったことがわかる。
いやいや、私自身まだ勉強の途上にいるんですよ。今もリムスキー=コルサコフのオーケストレーションを読み直しているところですし、マーラーやストラヴィンスキーの楽譜も、とても示唆に富んでいて、時には自分のやり方をゼロから問い直したくなることもあるのです。
~同上書P168
破壊と創造はいずれもゼロと同質のものだという認識。そういう自己批判精神が彼の創造の原点なのだと思う。ハンガリー民謡の編曲にみる純朴さ。あるいはヘルダーリンの詩による幻想曲の(リゲティ自身が「擬音的」だという、器楽にはない人の声の強烈なパシオンに恐怖すら感じる)破壊美(?)、あるいは創造美。「ルクス・エテルナ」はやっぱり宇宙そのものだ。