コルトー シューマン 「子供の情景」作品15(1954.5.2放送録音)

時間が経てばトリオの亀裂も埋まり、かつての「友情と音楽の喜び」を取り戻せただろうか? 運命はそのチャンスを与えなかった。1953年9月1日、公演先のインドシナに向かうティボーを乗せた飛行機がオート=ザルプ県のシメ山に激突して、搭乗者全員が死亡した。この「幸福な人生を好むジャック・ティボーの趣味にいささかもそぐわない馬鹿げた大惨事」の知らせは、元パートナーに衝撃を与えた。コルトーは数日後、ラジオ=ローザンヌのマイクに向かって、あまりに「深い悲しみ」のため、「(彼の)生涯最良の時期に彼とともに失われたすべて」を言葉にできないことを詫びた。
フランソワ・アンセルミニ+レミ・ジャコブ著/桑原威夫訳「コルトー=ティボー=カザルス・トリオ 二十世紀の音楽遺産」(春秋社)P178

衝撃と悲しみが皆を包み込んだ苦悩の様子が伝わる。
人生というものの奧妙さ、人・事・モノのすべてに意味があり、また意義があるのだということだ。ティボーの不慮の事故による急逝さえ計算された偶然だったように思われてならない。

悲しみ冷めやらぬ8ヶ月後の、コルトーの放送録音が残されている。
ロベルト・シューマンの「子供の情景」作品15。ミスタッチも多い演奏だが、そんなことが一切気にならない老練の、この時のコルトーならではの悲哀の念(?)が込められた演奏が妙に人間的で美しい。

終曲「詩人は語る」の表現センス!!
まるで生き物を素手で操るかのような独特のルバートがコルトーの凄味を教えてくれる。
コルトーの来日公演の思い出を吉田秀和さんは次のように書いている。そのときも終曲が素晴らしかったようだ。

演奏には、しかし、きずが少なくなかった。たしかショパンのエチュードもひいたはずだが、音がかなりぬけていた。それどころか、フォルテもちゃんと鳴ってないことが少なくなかった。ぼろぼろと音をこぼしながら、そうして何か遠くでごろごろと響くような音のまざるのをききながら、ステージの上で、無心のまま端然とピアノに対座している名人の姿をみていると、何か鬼気迫るようなものを感じないではいられなかった。これが本当に、あの話にきいていたコルトーなのだろうか? それとも、私たちのみているのは彼の影にすぎないのか?
その夜のプログラムの中にはシューマンの『子供の情景』もあったはずだ。最後の〈詩人は語る〉がすごかったように覚えている。コルトー自身は、ひきながら、どう感じていたのだろうか?

「吉田秀和全集6 ピアニストについて」(白水社)P24

ホロヴィッツの初来日のときの評に近い。吉田さんの感覚はそのときもその後も変わらない。


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