アルゲリッチ ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第28番イ長調作品101(1969.2.10Live)

春雨。
ほんの少し寒くなった。季節の移り変わり、諸行無常に感謝する。

今やベートーヴェンのソナタなどを弾く気配のないマルタ・アルゲリッチだが、若い頃はベートーヴェンのソナタを得意としていたようだ。残された古い(正規のものではないだろうものを含め)録音がいくつかあるが、どれもが驚異的な素晴らしさを誇る。独特のデュナーミクとアゴーギク。天才的なルバートに、それまで聴いたことのなかった奇蹟的な表現に思わず引き込まれる。

そういえばかつて宇野功芳さんが、アルゲリッチの作品101待望論を書かれていた。
この傑作を当時最大限に表現できるピアニストはアルゲリッチをおいて他にはいないと断言されていたように思う。少なくとも当時、宇野信者だった僕はそれを信じて彼女の弾くベートーヴェンの作品101の登場を待った。

そんなことはすっかり忘れ、歳月は流れた。宇野さんの文章もまったく読まなくなって久しい(ご健在だった随分前に僕は離れた)。

海賊盤だろうか、アルゲリッチの弾く作品101を発見したとき僕は小躍りした。
そして、実際に耳にして、僕は聴き惚れた。最高だと思った。
1969年2月のヴェネツィア公演。

・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第28番イ長調作品101(1815-16)
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)(1969.2.10Live)

既に失聴状態にあったベートーヴェンの深遠なる後期の作風の入口に立つ作品101の、驚くべき名演奏がここにある。たった今生み出されたかのような即興性と、ベートーヴェンならではの堅牢な構成が、抜群のテクニックによって表現される様子が見える。
第1楽章は冒頭から涙が出るほど美しい。
無心の第2楽章の透明さ。そして、終楽章の、ベートーヴェンの深遠な哲学的境地をヒューマニスティックに歌うアルゲリッチの天才。

わが親愛なる、大事なドロテア・チェチーリア!
失礼と思われるようなことが、わたしにきっとあったでしょうから、そんな人間と誤解なさったことがしばしばあったに違いありません。わたしの流儀が今日ほどに認められていなかった以前の、わたしを囲んでいた状況に起因するところが多かったとわたしは思います。福音書とは全く違ったやり方で何とかやっていかざるを得なかった、招かれざる使徒の解釈というものをあなたは御存知でしょう。だが、わたしをその一人に数えたくありません。あなたに、と思いながら作曲してきましたこの作品を、さあお受けになって下さい、それはまた、あなたの芸術的才能と人柄にわたしがどんなに傾倒しているかの一つの左証でもあります。最近はあなたがチェルニーの所で演奏されるのを聴けないでおりますが、それはわたしの病気のせいです。それもとうとうわが健康の前に尻尾を巻いて逃げ出しそうです。

(1817年2月23日付、ドロテア・フォン・エルトマン男爵夫人宛)
小松雄一郎編訳「新編ベートーヴェンの手紙(下)」(岩波文庫)P41-42

ドロテア・フォン・エルトマン夫人は、聴覚を失ったベートーヴェンにとって、自身の作品を正統に表現できるミューズだった。マルタ・アルゲリッチはその衣鉢を継ぐ一人なのかもしれない。


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