
ハイドンの四重奏曲第1楽章アレグレット最初の音が鳴った瞬間、何ともふくよかで円やかな音に僕は少々驚いた(それほど期待していなかったせいもあろうが)。抜群の感性、そして、自由で快活な音楽は第2楽章アンダンテで一層広がりを見せ、第3楽章メヌエットで歓喜を表わした。変奏曲の終楽章プレストは堂に入り、素晴らしかった。
また、ヘンリー・パーセル没後250年記念に委嘱されたブリテンの、第二次大戦中に生み出された四重奏曲は、音楽史で蓄積されたあらゆるイディオムの集大成的な作品であり、特に終楽章シャコニーは圧巻(静謐さと劇的さの統べる傑作)。ボーイングのダウンとアップを繰り返す最後の箇所は、混沌たる根源から生成される宇宙の調和のはじまりを示すようで(ベートーヴェンの第九の第1楽章冒頭を髣髴とさせる、勝手な僕のイメージだが)、力強く、素晴らしかった。(ちなみに、アンコールではモーツァルトが跳ねていた)
弦楽四重奏という形式を生み出した人は天才だと思った。
4本の同質の楽器を重ねることで、ふくよかな、広がりのある美しいハーモニーが奏でられる。
しかも、その音は、音楽を奏するメンバーの個性によってまったく違ったものになる。
音楽の歴史を、進化と見るか、あるいは退化と見るか。
実に興味深いプログラム構成だった。
耳障りの良い、古典派の、何も足さず、何も引かず、完璧な自然体の中で蠢く作品(しかしハイドンらしい革新満載の)を劈頭に、そして、自然体の中に喜怒哀楽を入力した浪漫派の煌めく音楽を掉尾に据え、彼らは聴衆の心を煽った。
サンドイッチされたのは、20世紀の、明晰な頭脳を駆使した作品たち。
どれもが心に沁みた、魂にまで刺さった。
前半は、ほのカルテット、後半がクァルテット風雅による精緻なアンサンブルを誇る名演奏だった。いずれの四重奏団も女性がファースト・ヴァイオリンを担当し、音楽を引っ張った。
風の時代はまた女性の時代。とても柔和な、それでいながら時に激しい、集中力に富んだ演奏だった。
第31回マツオコンサート
2025年2月15日(土)13:00開演
よみうり大手町ホール
・ハイドン:弦楽四重奏曲第68番(第52番)変ホ長調作品64-6, Hob.III:64(1790)
・ブリテン:弦楽四重奏曲第2番ハ長調作品36(1945)
~アンコール
・モーツァルト:弦楽四重奏曲第2番ニ長調K.155(134a)から第3楽章モルト・アレグロ(1772)
ほのカルテット
岸本萌乃加(ヴァイオリン)
林周雅(ヴァイオリン)
長田健志(ヴィオラ)
蟹江慶行(チェロ)
休憩
・ベルク:弦楽四重奏曲作品3(1910)
・メンデルスゾーン:弦楽四重奏曲第5番変ホ長調作品44-3(1838)
~アンコール
・シュテファン・コンツ:A New Satiesfaction(エリック・サティの「ジムノペディ第1番」による)(2018)
クァルテット風雅
落合真子(ヴァイオリン)
小西健太郎(ヴァイオリン)
川邉宗一郎(ヴィオラ)
松谷壮一郎(チェロ)
個人的には、アルバン・ベルクの四重奏曲に一番痺れた。
仄暗い音楽は、あまりに人間的で、内なる憂愁を表わしたもののように思えたが、音楽の濃厚さ、そして集中力に圧倒されたのだ。ベルクの音楽は実演を聴くに限る。
そして、最後のメンデルスゾーン。
いかにも彼らしく、高貴で無駄のない、ハイドンにも通じる自然体の歌。
楽章が進むにつれ、音楽はより透明感のあるものに昇華されて行ったように僕には感じられた。第3楽章アダージョ・ノン・トロッポの優美さと、続く終楽章モルト・アレグロ・コン・フォーコの大いなる革新(こちらも様々なイディオムの宝庫)に感激した。
最高に充実した2時間と少し。音楽は、それも実演は心の癒し。