
結局僕はいつもここに戻る。
楽聖といわれたルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン。
巨匠は、文字通り、「耳が呈(とお)」ったのだと思う。すなわち創造主と対話ができたということだ。何世紀も先を見据えて巨匠は音楽を創った。そして、その作品群は永遠を獲得していた。
ベートーヴェンは何のために音楽を創造したのか?
人々の心を癒すためだった。そして、世界を平和に導くためだった。
「第九」でも、双生児たる「ミサ・ソレムニス」においても彼は「皆大歓喜」を謳った。
そして、その精神はすべての作品を貫いた。
1806年5月26日、前年末/年初にラズモフスキー伯より委嘱を受けた3 St-Qua.,Op.59の作曲に取りかかる(Op.59-1自筆譜に”1806.05.26.開始”)
~大崎滋生著「ベートーヴェン 完全詳細年譜」(春秋社)P179
同年8月6日、皇帝フランツが神聖ローマ帝国皇帝を正式退位し、1000年に及ぶ神聖ローマ帝国の歴史が閉じられた。
そして、同年11月21日には、ナポレオンによって「大陸封鎖令」が発令され、ベートーヴェンはイギリスとの通信に大支障を来した。
人為によって、しかしながら、それは大いなる天意によって変転する世界にあって、ベートーヴェンは先見によって常に革新的な作品を生み出そうとしていたのだと思う。
ハンガリー弦楽四重奏団の全集から「ラズモフスキー四重奏曲」。
性格を異にする2曲は、意識が一層拡張された中で創出された傑作だろう。
ファースト・ヴァイオリンのセーケイの意図は、ベートーヴェンの愉悦を丁寧に磨き上げようとしたものだが、「ラズモフスキー第2番」など、第1楽章アレグロ冒頭から実に推進力に富み、また歌に溢れる。そして、第2楽章モルト・アダージョの、いつものベートーヴェンらしい治癒力の極致をハンガリー弦楽四重奏団がいかにも喜びを秘め、表現してくれるのだ。
私的には、「ボリス・ゴドゥノフ」や「マゼッパ」などで使われることになるロシア民謡の印象がある第3楽章アレグレットの優美な躍動にやっぱり惹かれる(何という楽しさよ)。
終楽章プレストの確信的響きは、ハンガリー弦楽四重奏団ならでは。

セーケイ率いるハンガリア弦楽四重奏団のベートーヴェン、専門筋や通の愛好家の間では、高い評価を得ているようですね。
ステレオ録音は、東芝音工からAA‐7,000番規格で出て、以後廃盤扱いが長く不遇をかこつ音源扱いでしたけれども、モノーラルの旧盤は外盤ボックス・セットで、比較的入手可能な状態なのですね。有り難い御情報を、有り難うございます。
>タカオカタクヤ様
はい、昨今はかつての名盤が格安ボックスで手に入れられるので本当に有難いことだと僕も思います。