クレーメル アルゲリッチ バルトーク ヴァイオリン・ソナタ第1番Sz75(1988.6録音)ほか

アメリカ亡命後の、晩年のバルトークの日常を描いたアガサ・ファセット。
真に親しき者にしか見せないであろう、バルトークのプライベートが見事に報告される。

外界の介在をきっぱりと拒否する人。街ですれちがってさえ、バルトークの姿はそう感じさせるという。彼が心をひらくのは、文明という名を被った虚飾をすべてとり払った東欧の田園にあるときであり、そこでは一木一草さえ親しい友人であった。ふるいものが土に帰して来るべきもののための滋養となって生命の周期が完うされる、という自然の一環としての人びとの生活が彼を安堵させる。ベッドとテーブルだけの簡素な田舎家にバルトークはくつろぎ、そこの人びともまた打ちとけて自分たちの歌をバルトークのために唱った。そこに生きる人々の日々のリズムそのものである彼らの音楽を、バルトークは自らの音楽の指標とした。深く根を下ろしたその土を離れては、自分の存在はあり得ないことを知っていた。
アガサ・ファセット/野水瑞穂訳「バルトーク晩年の悲劇」(みすず書房)P375

「訳者あとがき」にはそうある。
常に内省を、内観を続けたバルトークの生涯にあって、自然と土地と、文明とは相いれないものが、影響を及ぼし続けたことを僕たちは忘れてはなるまい。

いかにも「頭脳派」というバルトークの作品群から、僕は彼を正反対の人だと長い間想像していた。なるほど、そういわれればバルトークの音楽は緻密な計算もさることながら、大宇宙の真理をなぞる、確固とした、ぶれることのない「何か」を屋台骨として組み立てられていることが想像できる。それこそ「根源」と密接につながる「何か」がその音楽の内に存在するのである(それは信仰の一種かも知れない)。だからこそなのか、僕たちは「それ」を探してバルトークの作品に対峙する。
もちろんそれは無意識だ。そして、気がつくと彼の音楽に惹き込まれる僕がいつもいた。

音調は、相変わらず暗い。
しかし、そこには常に一条の光を見出す瞬間があった。
「光と闇」を巧みにコントロールするのはバルトークの常套。それこそ彼はいつも大自然の有様を描いていたのである。

そして、彼の心底にはいつも祖国に対するただならぬ思いが、憧憬があった。
不治の病を得て、バルトークがファセットに語った言葉はこうだ。

「私に適していると思われる唯一のこと、かすかにではあるが、安堵すら与えてくれる唯一のことは、若し私がそこへ帰るとするならば、他の何者でもない、私の骨が帰ることだ。苦痛に引き裂かれたあのたくさんの骨に加わり混り合って、ついに粉々に砕けて、滋養豊かな痛みもない塵に帰するという思いだけだ」。
~同上書P378

無念というより、すっきりとした諦念こそバルトークの本懐。
竹を割ったような性格は、そのまま彼の音楽に投影される。

第1楽章アレグロ・アパッショナートの妖艶は、冒頭、アルゲリッチのピアノに導かれたクレーメルのヴァイオリンから生まれたもの、否、二人の交歓によって生み出されたものだ。
第2楽章アダージョにおいても、アルゲリッチが徐に方向を示す。沈潜する音のドラマは、一般的には人々に不安を与えるようなものに聴こえるが、少なくとも僕には、もっとエロティックな、死を超えた生を描くものに思える。特にクレーメルとアルゲリッチの組み合わせで創出される音にはそのことが如実だ。
そして、第3楽章アレグロの爆発。いかにもバルトークらしい激しくも郷愁募る音楽に心が躍る。見事だ。

・バルトーク:ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第1番Sz75(1921)(1988.6録音)
・ヤナーチェク:ヴァイオリンとピアノのためのソナタ(1914-21)(1988.6録音)
・メシアン:ヴァイオリンとピアノのための主題と変奏(1932)(1985.4録音)
ギドン・クレーメル(ヴァイオリン)
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)

ヤナーチェクは、バルトークに比してより旋律的で、もっと田舎臭い(?)音調を醸す。
そんな音楽にあって、クレーメルとアルゲリッチは一体となって、一片の無駄もない、完璧な再現を誇る。
第1楽章コン・モトの優しい歌。
続く第2楽章バッラーダ.コン・モトでの恋の熱い情感にも似た、エネルギッシュな歌。
また、第3楽章アレグレットは、動と静の交差する、美しい歌。
そして、明朗な終楽章アダージョは、まるでカミラ・シュテスロヴァーへの恋文の様だ。

さらに、8分ほどのメシアンの主題と変奏がまた美しい。これは、最初の妻への結婚の贈物として書かれたものだが、誰のためでもない、自分のために音楽を書いていたことがよくわかる。自身の仕事について彼はこう言うのだ。

満足も虚栄も感じたことはない。成し遂げたことに幸福感を抱いたり、作り上げたものに—良いものも悪いものもあるが—喜ぶこともない。そんなことは、私にとって何ら問題にならない。一つ一つの作品には私の体験した瞬間があり、私の気に入った風景があって、私の出会った事物や生命、人々や鳥や木がある訳だが、こうした作品を聴き直し、楽譜にもう一回目を通す度に、私はこうした瞬間を、こうした人々や鳥や木を再び見出し—そして私は満たされるのだ。あたかも、昔の時代の映画や写真を見せられているかのように。
アルムート・レスラー著/吉田幸弘訳「メシアン―創造のクレド 信仰・希望・愛」(春秋社)P88

それは、「体験」の瞬間だった。
選曲に優れた良いアルバムだ(80年代はまだレコードの作り方が丁寧だった)

脱力 脱力

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