
マルク・ミンコフスキが音楽に目覚めることになったきっかけの一つは、少年時代、カール・ベームの指揮によるリヒャルト・シュトラウスの楽劇「ばらの騎士」に触れたことだったそうだ。
幼少の頃、ヴァイオリンを習うのを辞めてしまったことの後悔を語りつつ、音楽の方向へと導かれた偶然について彼は次のように語る。
小さな偶然が運命を大きく変える。ある日、父はテニス仲間のパリ・オペラ座のティンパニ奏者からリヒャルト・シュトラウスの歌劇『ばらの騎士』の公演に招待された。母は留守で、兄たちは反抗期真っ盛りだったので、私に白羽の矢が当たる。指揮はカール・ベームだった。私は何もわからないオペラ初心者だったが、いつまでも消えない「何か」が場内の空気を伝って自分の中に浸透していくのを感じた。同じように父のお供でリール市のオペラ座でジャン=クロード・カサドシュが指揮する公演に連れていかれて、あの素晴らしい劇場に強い感銘を受けたのは、それから暫くしてからだった。自分でも気が付かないうちに、様々な感情が心の中で渦巻くようになっていった。言葉にならない不思議な感情だった。
~マルク・ミンコフスキ著/アントワーヌ・ブレ編/岡本和子訳/森浩一日本版監修「マルク・ミンコフスキ ある指揮者の告解」(春秋社)P52-53
果してこれは偶然か?
あるいは、生まれる前から計画した、ミンコフスキの今に至る音楽家人生の、最初の重要な一コマだったのか。
長いキャリアの中で、幸運は続く。ミンコフスキはまた次のようにも言う。
アンネ・ソフィー・フォン・オッターに『アリオダンテ』のタイトルロールを歌ってもらったのは、1990年代にアルヒーフ・プロダクション・レーベルのアーティスティック・ディレクターだったペーター・ショルニーのアイディアだった。彼女は当時すでに名の知れた歌手で、ベルナルト・ハイティンクとカルロス・クライバーの指揮で『ばらの騎士』のオクタヴィアン、そしてガーディナーの指揮で『オルフェオ』を歌うなど、数々な指揮者と仕事をしていた。しかし、出会うべくして出会ったというか、初めて会ったときから完全に意気投合して、いまでも頻繁に共演を続けている。モンテヴェルディの『ポッペアの戴冠』のネローネ(相手役は言わずもがな、ミレイユ・ドランシュだった)、『エジプトのジュリオ・チェオーザレ』のセスト、『ヘラクレス』のデイアネイラ、『トーリードのイフィジェニー』のクリテムネストラを歌ってくれた。ベルリオーズの『夏の夜』は度々コンサートで一緒にやっていて、録音もしている。
~同上書P92
誰と出会うか、これも人生を決定づける大きな要素だが、それも天上での互いの約束の上で成り立っているものだと考えると面白い。世界は何と自由自在なんだろう。

カール・ベーム指揮シュターツカペレ・ドレスデンによる楽劇「ばらの騎士」を聴く。
ドレスデンはルカ教会でのセッション録音。
さすがはシュトラウスの薫陶を受けたベームだけあり、安定の「ばらの騎士」。
69年ザルツブルク音楽祭でのライヴも熱い舞台だが、こちらはセッション録音ということもあり、シュトラウスとホーフマンスタールの意図(作品の優美さ、心理的繊細さ、そして高度な内容)をより微細に汲み取った美しい演奏が繰り広げられる。

ちなみに、創作の過程をやり取りした数多の書簡を読むことで、作品理解が一層深まる。
第一幕、きのう拝受しました。全く魅惑されている、というほかはありません。本当に比類なく魅力的です。あまりにも繊細で、もしかすると大衆にはいささか繊細過ぎるかもしれません。でもそんなことは構いません。
真ん中の部分(謁見の場面)はうまくまとめるのが容易ではなさそうですが、何とかやれるでしょう。何しろまだ夏いっぱい時間があるのですから。
幕切れのシーン、素晴らしい。油かバターのように滑らかに作曲できるでしょう。きょうすでにちょっとやってみました。早くそこまでいけたらと思うのですが、でも全体の交響的統一のために、前から順に作曲していかなければなりません。今はじっと我慢の時です。
本当にこの幕切れは魅力的です。要するに、あなたは本当に素晴らしい方だ、ということです。ところで次はいついただけますか。
(1909年5月4日付、ホーフマンスタール宛)
~ヴィリー・シュー編/中島悠爾訳「リヒャルト・シュトラウス/ホーフマンスタール 往復書簡全集」(音楽之友社)P51
シュトラウス×ホーフマンスタールの仕事はまさに協働といえる完璧なコンビだろう。
時に歯に衣着せぬ批判的精神あり、もちろん賞讃あり、そこには何といっても互いが互いを尊敬し合い、そして鼓舞する理想的関係がある。
この手紙に対してホーフマンスタールは次のように返信する。
私はまた、全力を挙げて喜劇的オペラの要求するもの、その可能性、そのあるべき様式を追い求めようとしており、やがて、あなたの芸術的個性のいくつかの部分にぴたりと即応するものを(ここではそれは独特の諧謔と抒情的なものの混合ということになるでしょうが)、また、何年にもわたって、いやもしかすると何十年にもわたってレパートリーに残るようなものを生み出すことができるであろうと、心から希望しているのです。
(1909年5月12日付、シュトラウス宛)
~同上書P52
まさにホーフマンスタールの希望叶った傑作オペラ創作の始まりである。
シュトラウスが細かい注文を付け、ホーフマンスタールがそれに応えるか、あるいは断固として譲らない姿勢を見せるか、往復書簡をひも解くことで、創造の現場に居合わせることができ、実に興味深い。
あなたが弾いて聞かせて下さった、あのオペラの中のあれこれは、何もかも本当に素晴らしく、私に大きな、そしていつまでも続く喜びを与えて下さいました。
私は、その間に第二幕をもう一度通読し、この幕切れを、その最後の5分間を、大々的に改める決心を固めました。3つの幕切れが、すべて静かに終わるというのは、よろしくありません。そんなことをしたら、全体の効果を危険にさらしてしまうでしょう。私にはもう解決策があるのです。
(1909年6月12日付、シュトラウス宛)
~同上書P56
この手紙ではシュトラウスの要望に到底応えられないことも書かれてあり、二人が作品をより良いものにすべく知恵を絞り出し合っている様子が具にわかる。
シュトラウスも本気で応える。
あなたの第2幕を初めて読んだときから、どうも何かしっくりしない、どこか冴えず、どこか弱く、あるべきドラマの高まりが欠けていると感じていました。きょうになって、ほぼ、何が欠けているのかが分かったのです。提示部としての第一幕、そしてあの内省的な幕切れは素晴らしいものです。ところが第二幕にはこの第一幕とのコントラストとしてぜひともなければならぬもの、そして高揚が欠けているのです。そしてそれは第三幕になってからでは遅すぎるのです。第三幕は、第二幕の高揚をさらに凌駕するものでなければなりません。観客はそこまで待ってはくれないのです。第二幕が冴えないと、それだけでもうオペラは失敗です。いくら見事な第三幕があとに控えていようと、もはや救うことはできません。
(1909年7月9日付、ホーフマンスタール宛)
~同上書P58-59
シュトラウスのセールス&マーケティング・センスの鋭さが垣間見える手紙だ。この後、第2幕をどのようにすべきか(ほとんど自分が台本作家であるかというくらい)細かい指示が続く。そして、ホーフマンスタールはそれに対して真摯に応え、向き合うのだ。
あなたが要求なさっていることは、あなたの(音楽によるドラマという)お立場からすれば、どうしても必要なものに違いありません。そしてまたそれは、主要人物たちの性格にも、—全般としては—作品の流れに逆らうものではございません。というわけで、私はできるだけ早くその仕事に取りかかることに致します。もちろん、私のものでないこうしたアイディアを、私のファンタジーの中に吸い上げ、再び全体を生き生きとした統一体と感じ、眼前にはっきり浮かび上がらせるには、しかるべき時間が必要です。
(1909年7月11日付、シュトラウス宛)
~同上書P63
上記のようなやりとりが何ヶ月にもわたって詳細に繰り広げられたことにそもそも僕は感動を覚える。時代的に手紙という見える形で残されたことは、人類の大いなる遺産といっても言い過ぎではなかろう。
そして、第三幕クライマックス、幕切れに関しての二人のやりとりが面白い。
きのう当地で、フェリックス・ザルテンほか4人ないし6人の友人に、このオペラを全幕一気に朗読して聞かせました。全体としてこの作品は、詩的なところも楽しいところも、大変大きな感銘を与えましたが、ただ、目に見えて気分がだれる箇所が、第三幕、男爵の退場のあとにあったのです。ここは皆にはっきり、長すぎて退屈だと感じられたのです。人々はもうここで幕がおりるのを感じているのです。すべてが、幕切れに向かってなだれ込んでいくべき箇所なのです。この部分で気分がだれることは(たとえ3分多すぎるだけでも、退屈と焦燥を呼び起こしかねないのです)、全体の成功に致命的なものとなりましょう。私は直ちにフェリックス・ザルテンの協力を得て、必要な短縮を致しました。
(1910年8月30日付、シュトラウス宛)
~同上書P89
ホーフマンスタールのこの心配に対してシュトラウスは毅然と返信する。
第一に、私は自分でこの部分を何箇所か縮めています。また第二に、あなたもザルテン氏も、」まさにこの箇所が、音楽的にどのような効果をあげるか、まだ今のところ判断なされないのです。朗読の際にここが弱いと感じられたのはよく分かります。ところが音楽家はこれに反し、まさにこの幕切れのところで、そもそも何か良い着想さえあれば、最良の、最高の効果を達成することができるのです。その判断はそうか安心して私にお任せ下さい。私はもう作曲を殆ど終えています。そしてこの最後の三分の一ほどは、見事に成功していると思っています。
(1910年9月7日付、ホーフマンスタール宛)
~同上書P91
そして、最後にシュトラウスは次のように明言しているのである。
もしあなたが、この作品のほかの部分は保証する、とおっしゃって下さるのなら、男爵が退場したあとの幕切れは私が保証する、と申し上げましょう。
~同上書P91
この自信! 実にかっこいい。
そして、ホーフマンスタールは次の手紙で以下のように承認するのだ。
幕切れのシーンの長さにつきましては、あなたの作曲がまだそこまで進んでいるとは思っていませんでしたので、ぜひ申し上げておかなければ、と思ったまでで、もう作曲が済んでおり、その上あなたがその箇所に大変満足しておられるというのでしたら、万事このままで結構です。第二幕の幕切れも、想い起こすたびにうれしくなるほど素晴らしいものなのですから。
(1910年9月17日付、シュトラウス宛)
~同上書P93
完全無欠の楽劇「ばらの騎士」誕生秘話。
音楽が本当に素晴らしい。