昨日と今日は今月の講座のテーマであるモーツァルトの研究を少々。ざっくりと彼の生涯を見渡すとなるほどその人生が決して順風満帆なものではなく「山あり谷あり」だったことがよくわかる。ピアニストの内田光子曰く、モーツァルトの生涯と音楽にとってトランジション(転機)は大きく3回あったということだ。
1.母アンナ・マリアの死(1778年)
2.コンスタンツェ・ウェーバーとの結婚とその後の新しい生活(1782年)
3.父レオポルトの死(1787年)
モーツァルト22歳のとき最愛の母は亡くなった。
母の遺体を前に彼は父に宛てて手紙を書く。現在形で・・・
「最愛のお父さん!非常に嫌な、悲しいお知らせをしなくてはなりません。お母さんが重態です。・・・とても衰弱して、まだ熱があり、うわ言を言います。望みはあると人は言いますが、僕はあまり期待していません。・・・全て神の御心におまかせしています。」
彼は、当時交際をしていたアロイジア・ウェーバーにも同時期に失恋している。さらに不幸は重なるもので、就職が決まらずザルツブルクに戻らざるを得なかったという事実もある。失意のどん底に突き落とされたモーツァルトは、それでも彼らしい天国的な美しさの音楽を書いたのだ。
モーツァルト:協奏交響曲変ホ長調K.364
ギドン・クレーメル(ヴァイオリン)
キム・カシュカシアン(ヴィオラ)
ニコラウス・アーノンクール指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
特に第2楽章は深い憂いに閉ざされている。
立ち直れないほどの「悲しみ」という精神状態であったがゆえにそれまで以上に深い情感に満ちた楽曲が創造できたのであろう。以降、モーツァルトの作風は一皮剥けたものになっていく。
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