ファウスト&アバドのベルク&ベートーヴェン(2010.11録音)を聴いて思ふ

berg_beethoven_faust生きる喜びや、すべてに対する感謝の念は失敗から生れる。
人生において挫折は何にも代え難い価値を持つ。悲観することはない。
この音楽の持つ「優美さ」と「自由」をこれほど見事に表現した演奏を僕は知らない。
苦悩を超えた先に差しこむ一条の光の如し。

目下のところ、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の愛聴盤はこれ。
ファウストの澄んだ独奏ヴァイオリンも一聴に価するものだが、何よりアバドの、どの瞬間をとっても音楽的で意味深い伴奏に何度聴いても心奪われ、感心させられる。音量をできるだけ抑え、あくまで独奏者をサポートする姿勢、そして何より音楽そのものを愛する心に溢れる。大病後のアバドの音楽はどれも余計な力が入らず、透明で美しい。
ひとたび死に直面した人間の潔さ、あるいは覚悟の尊さよ。

また、その覚悟に応えるべく一心不乱に音楽をするファウストの集中力。ベートーヴェン自作のピアノ用のそれをヴォルフガング・シュナイダーハンが編曲したカデンツァが聴きもの。さすがに作品そのものに忠実だ。

一つの重要な要素は、人間は他人となんらかの協同なしには生きることができないということである。どのような文化のもとでも、人間は生きようとするかぎり、敵や自然の脅威から自分を守るためにも、あるいは働いたり生産したりすることができるためにも、他人と協同することが必要である。ロビンソン・クルーソーでさえフライデーをつれていた。かれがいなければ、おそらく気狂いになったばかりか、実際に死んでしまったであろう。
エーリヒ・フロム著/日高六郎訳「自由からの逃走」(東京創元社)P27

協同のためには依存はあってはならない。各々が真に独立することが重要だ。その意味で、ここでのファウストとアバドはあくまで対等だ。この、あまりに健康的な音楽の所以。

・ベルク:ヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出に」
・ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
イザベル・ファウスト(ヴァイオリン)
クラウディオ・アバド指揮オーケストラ・モーツァルト(2010.11録音)

アルバン・ベルクの「白鳥の歌」が実に明るく響く。
死の恐怖にとらわれた作曲者が見たものは生への希望であったのか。
第2楽章で打ち込まれるティンパニの轟音にすら安寧を覚える。アバドの音楽はどんなに高揚しようと「静けさ」に満ち、ファウストのヴァイオリンは有機体の如く蠢き、飛翔する。音楽によってすべての不安から解放せんとばかりに。

個人はますます孤独に、ますます孤立するようになり、自分のそとにある圧倒的に強力な力にあやつられる、一つの道具となってしまった。かれは「個人」となったが、途方にくれた不安な個人となった。このかくれた不安が、あらわにでてくるのを抑えるのに役立つような条件はあった。まず第一に、それは自我をささえる財産の所有である。
~同上書P137

「つながり」を忘れた世界が全体主義の土壌を肥やしたのだとフロムは言う。
ベルクもナチスの台頭に心を痛めたのだろうか、無調でありながら有機的なつながりを醸すレクイエムを聴いて考えた。
ベルクもベートーヴェンもあまりに美しい。

 

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