3人寄れば・・・

3人寄れば何とやら。
「3」という数字はきわめて意味深い、奥深い数字である。
人類は今第2段階にいるといわれる。そしていずれは第3段階(いわゆるキリスト意識)にアセンション(次元上昇)するということだ。
昨今世の中で「Win-Win(共に勝つ)」ということが叫ばれる。そのことが本当に理解でき実行できる人はどれだけいることだろうか。人間は弱い。どうしても窮屈な「身体」に意識が向いてしまう。しかし、それが「自分との闘い」なのだ。

ベートーヴェンのピアノ三重奏曲第7番変ロ長調作品97「大公」を聴く。
しかも戦前1928年電機録音時代のカザルス・トリオのいわずとしれた屈指の名盤でである。

カザルス・トリオは、
アルフレッド・コルトー(ピアノ)
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
パブロ・カザルス(チェロ)
の3名人によって1905年にパリで結成された史上最高の名トリオ。
それぞれが個性を持った名手たちで、普通ならその個性がぶつかり合い、お互いが自己主張し合い、バランスを欠いた演奏になることは必至である。しかしながら、彼ら3人には張り合おうという意識がなく、かつ遠慮もなく、融通無碍に弾きながら、最高の「音楽」を創出する。

おそらく一人一人に余裕があり、最高の音楽を奏でようという意識しかないのであろう。いや、というより「無」の状態なのだろう。

僕は考える。大事なことは「一心不乱」。そう「心を一つにして乱れず」モノやコトに向かうことなのだ。自分が何を成すべきか。答えは出ているはずである。
あとは行動のみである。

⇒旧ブログへ


1 COMMENT

アレグロ・コン・ブリオ~第5章 » Blog Archive » カザルス・トリオのシューベルト!

[…] シューベルトの音楽は「歌」に溢れると昨日書いた。 それは、19世紀後半や20世紀前半までの浪漫的解釈に著しい(余談だが、「浪漫」という当て字は夏目漱石が考案したのだとか)。高校生の時、音楽好きの友人からフルトヴェングラーやワルターやトスカニーニという往年の名指揮者のレコードを聴くことを強く薦められ、そういう古い音盤を聴くうちにあっという間に古き良き時代の演奏家の虜になってしまっていた。いろいろとレコードを集めたり、友人と貸し借りしたり・・・。そして、その中にカザルス・トリオが演奏するベートーヴェンの「大公」トリオの東芝エンジェル盤のGRシリーズ(懐かしい!)が含まれていた。当時の録音としては画期的に聴きやすく、しかも魂のこもった名演奏に身も心も蕩けるようで毎日のように繰り返し聴いたことを思い出す。 その時のカップリングが何だったかはあまり記憶にないが(多分CDと同じだろう)、後年になって仕入れたCDのそれはシューベルトの最晩年の変ロ長調の三重奏曲だった。それこそベートーヴェンの「大公」トリオを意識して書かれたようなとても充実した内容で、しかもシューベルトらしい美しい旋律の宝庫で、大人になってからは「大公」よりもどちらかというとシューベルトの方に愛着を感じ、頻繁に聴いた。 […]

返信する

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む