世間の子供たちにとって今日は夏休み最後の日である。シューマンの音楽を聴きながらかつて少年だった頃感じた、この「夏休みが終わる」ということの寂しさ、名残惜しさ感のようなものをふと思い出した。おそらくまだ小学校の低学年の頃のことのように思うのだが、叔母から「潜水艦(船体の色がブルーだったことやスーパー・サブマリーンという名前だったこともなぜか明確に覚えている)」のおもちゃをプレゼントしてもらい、小さな子供用プールに水を張り、無邪気に遊んでいるという何でもない記憶がなぜだか蘇る・・・。
どうもシューマンの音楽は「過去を喚起する」何かが潜んでいるように感じる。有名なピアノ音楽「子供の情景」然り、ピアノ協奏曲然り。
梅毒による病で自殺を図り、最終的には精神に破綻を来しそのまま帰らぬ人になったシューマンは、決して強い精神の持ち主ではなかったようだ。特にこの第2 交響曲は、「精神分裂」色が濃厚で、聴くに堪えない支離滅裂さがあると一般的にはいわれる問題作であるが、僕にとってはとても大好きな大切な楽曲。確かに暗鬱とした雰囲気に気が滅入ってしまうのかもしれないが、第3楽章アダージョに見られる「安息と激情」の交叉が逆に「こころ」をとらえて放さない。
シューマン:交響曲第2番ハ長調作品61(マーラー編曲版)
アルド・チェッカート指揮ベルゲン・フィルハーモニック管弦楽団
「シューマンの交響曲はピアノ曲の下手なオーケストラ編曲に過ぎない」と昔からよくいわれる。本盤は、彼の天才を敢然と擁護したマーラーがここぞとばかりに編曲した版によるのだが、終楽章のコーダに大幅なカットが施されているのが問題だ。面白いには面白いが、やはり原典版で聴くべし。
レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団盤がおすすめ。
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