人間そうそう大幅に変わるものではない

小澤征爾×村上春樹「小澤征爾さんと、音楽について話をする」が面白い。
聞き慣れないエピソードも多い。例えば、バーンスタインとカラヤンの双方に師事した小澤さんらしい二人の「比較論」だったり、グールドがバーンスタインの棒の下ブラームスの協奏曲を演奏した例の有名な実況録音において、コンサート前のレニーのスピーチでのアシスタントというのは自分のことを指しているということだったり、あるいは、グールドの自宅を訪問した時、残念ながら書籍では公表できないエピソードがいくつもあったことなど、ついつい本を開いて思わず耽ってしまうほど興味深い話題が満載。事実は小説より奇なり。ここで語られていることがすべて実際に小澤さんの体験に基づくもので、しかもそれらの具体的な話を引き出す春樹さんのインタビュアーとしての力量がマッチして繰り出されているものだから奇跡的というか、唯一無二というか、これは音楽愛好家諸氏のみならずたくさんの方に読んでいただきたいと思える傑作である。ついついインタビュー中に頻繁に紹介される音盤を実際に聴きながら読みたくなるところがまた素敵。

ところで、春樹氏も同じような意味のことを書いておられるが、創造者というのは各々自分のスタイルを持っており、その中で自由に飛翔するものだろうと僕も思う。いわゆる文体とか語法というものは人間そうそう大幅に変わるものではない。もともとの感性、感覚、あるいは性質に基づいて感じ、考えるのが人間だということかな・・・。
例えば、カメレオン作曲家として名高いイーゴリ・ストラヴィンスキー。彼の作風は時期によって相当異なるといわれるが(原始主義、新古典主義、セリー主義など)、いつの時代の作品を聴いてみても本質のところはやっぱりストラヴィンスキーだということが、どの部分を聴いてみてもよくわかる。

ストラヴィンスキー:
・管楽器のシンフォニー(1920)
・詩篇交響曲(1948年改訂版)
・3楽章の交響曲(1945)
ベルリン放送合唱団
ピエール・ブーレーズ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

心臓の鼓動、パルスに同調するリズムが聴く者を興奮させるのだろうか、かつて「春の祭典」や「火の鳥」などのいわゆる三大バレエを初めて聴いたときに感じた何とも刺激的で一種の恍惚感を味わえる土着的な音楽がこれらの内に聴いてとれる。ブーレーズの解釈はあくまでクールで紳士的なのだけれど、それでも人間の本質を鷲掴みにするような血のたぎるエネルギッシュな語法が、どこをどう切ってもストラヴィンスキーで、繰り返し聴くたびに一層深みにはまり込んでゆく。
深夜に響く詩篇交響曲の妙なる調べ。第3楽章は旧約聖書詩篇第150篇による。

ハレルヤ。神の聖所で、神をほめたたえよ。御力の大空で、神をほめたたえよ。
その大能のみわざのゆえに、神をほめたたえよ。そのすぐれた偉大さのゆえに、神をほめたたえよ。
角笛を吹き鳴らして、神をほめたたえよ。十弦の琴と立琴をかなでて、神をほめたたえよ。
タンバリンと踊りをもって、神をほめたたえよ。緒琴と笛とで、神をほめたたえよ。
音の高いシンバルで、神をほめたたえよ。鳴り響くシンバルで、神をほめたたえよ。
息のあるものはみな、主をほめたたえよ。ハレルヤ。


6 COMMENTS

雅之

こんばんは。
ご紹介の小澤征爾×村上春樹の本は未読ですが評判になっていますよね。面白そうなのでぜひ読んでみたいです。教えていただき感謝です。

前回の、楽譜についての話題の続きですが、スコアを読めるようになることなんて、外国語をマスターすることなんかに比べれば全然大したことじゃないと思いますよ、いや、合気道よりも全然簡単でしょう(笑)。

要は、音楽への愛がどれだけ深いかだけだと思うけどなあ。

フリードリヒ大王を見習って頑張ってみられたら? なんちゃって。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%81%AE%E6%8D%A7%E3%81%92%E3%82%82%E3%81%AE

ねえ、マジそう思われませんか、レオンハルト先生!!
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1493435

返信する
岡本 浩和

>雅之様
こんばんは。
この本はぜひお読みください。相当面白いです。

>スコアを読めるようになることなんて、外国語をマスターすることなんかに比べれば全然大したことじゃないと思いますよ、いや、合気道よりも全然簡単でしょう

そうなんですかねぇ。もしもそうなら真剣に学んでみようかと思います。ただしやっぱり重要なのは先生だと思うのです。独学じゃ限界があります。小澤さんもそのようなことを言っておられます。どこかに良いインストラクターいないかなぁ・・・(笑)。

あ、それとレオンハルトさん亡くなっちゃいましたね。またひとり20世紀の巨星が堕ちてゆく・・・、何とも哀しげな感覚です。

返信する
雅之

>ただしやっぱり重要なのは先生だと思うのです。独学じゃ限界があります。小澤さんもそのようなことを言っておられます

それこそ、新宿みたいな恵まれたところにお住まいの岡本さんなら、その気になって調べればいくらでも機会はあると思いますよ。
http://www.yamano-music.co.jp/docs/school/area/yurakucho/pdf/otamajakushi.pdf

http://www.sankeigakuen.co.jp/coursedetail.asp?SchoolID=17&CourseID=7272101

本気でやる気になるか、ならないかだけの問題でしょう。

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アレグロ・コン・ブリオ~第4章 » Blog Archive » なんとも慈愛に満ちた響き・・・

[…] 弦楽のための小品集 ・ガーシュウィン:子守歌 ・ハイドン:アンダンテとメヌエット~弦楽四重奏曲第83番変ロ長調 ・シューベルト:弦楽四重奏曲断章ハ短調D103 ・メンデルスゾーン:変奏曲とスケルツォ ・プッチーニ:弦楽四重奏曲「菊」 ・ヴォルフ:間奏曲 ジュリアード弦楽四重奏団(1968.1.18&19, 4.8&5.14録音) 先日読んだ村上春樹氏の「小澤征爾さんと、音楽について話しをする」には興味深いエピソードが満載だったが、中にジュリアード・カルテットの第1ヴァイオリン奏者、ロバート・マン氏の松本での矍鑠とした指導ぶりについて語られており、そのことがとても印象的で、それ以来、時折ジュリアードの音盤を取り出して聴いているが、ある意味極めつけは昨年後半におそらく初CD化された「弦楽のための小品集」というもので、大作曲家たちのあまり知られていない地味な作品たちでありながら、繰り返し聴くにつれ何ともチャーミングで、心底から癒されるところが好き。 第1曲目のガーシュウィンの「子守歌」など初めて聴いた音楽だが、作曲家の習作でありながら本当に夢見るような素敵なメロディで快適な眠りに思わず誘われる。それにメンデルスゾーンの「変奏曲とスケルツォ」も初耳楽曲。どうやら作曲家の死の年に書かれた作品らしいが、暗さや厳かな雰囲気は一切なく、妙に前向きで明るいところが逆に涙を誘う。 ちなみに、僕はプッチーニの四重奏曲「菊」が大のお気に入り。後に、歌劇「マノン・レスコー」の最終場面に転用された旋律の、なんとも慈愛に満ちた響き・・・。 […]

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