夜のモーツァルト

ここのところモーツァルトを頻繁に聴いている。クラシック音楽の世界に足を踏み入れた当初はいろいろと聴いたものである。ところが、ある程度「古典音楽」を知るようになるとある時期からモーツァルトの音楽をあまり欲さなくなるようだ。おそらく誤解なのだが、どうも軽く思えたり表面的に聴こえると錯覚してしまうのだ。
齢40を超えると突如としてアマデウスの世界が恋しくなる時期が訪れる。真夏の今頃である。小林秀雄が「モオツァルト」の中で「疾走する悲しみ」と表現した音楽は「ト短調交響曲」だと勘違いしている輩が多いが、実は「ト短調五重奏曲」のことなのである。

モーツァルト:弦楽五重奏曲第4番ト短調K.516
アルバン・ベルク四重奏団
マーカス・ヴォルフ(ヴィオラ)


小林はうまいこと表現したものだ。モーツァルトの作品の中で所謂短調作品は限られている。神の子モーツァルトにとって「光」の象徴である「長調」が自己を表現するに最適だったのだろう。だが、彼の「翳」の部分、つまり「短調作品」に注目して楽曲を聴いてみるがよい。

交響曲第25番ト短調K.183
交響曲第40番ト短調K.550
ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466
ピアノ・ソナタ第8番イ短調K.310
歌劇「ドン・ジョヴァンニ」

などなど、ざっと挙げてみてもむしろ一般には人気の高い傑作が揃っている。モーツァルトは明るくなければいけないという説も大いに理解できるが、「憂いを秘めた」モーツァルトもやはり絶品である。

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1 COMMENT

アレグロ・コン・ブリオ~第4章 » Blog Archive » 東京に空が無いといふ

[…] ところで、本日はモーツァルトの220回目の忌日である。智恵子はもちろんモーツァルトも知っていたはずだ。彼女ならどの作品を好いたのだろう?K.595やクラリネット協奏曲という晩年の透き通るような音楽だろうか、やっぱり・・・。それとも、2つのト短調シンフォニー、あるいはK.516のような哀しみを湛えた短調作品か・・・。 僕は想像する。ここは今や遺作といわれるホルン協奏曲などではないのか、と。明朗でありながらどこか悲哀を示す旋律と、何より緩徐楽章をもたない未完であるところ(実際には紛失されたものなのだろうけれど)。 […]

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