インバル指揮フランクフルト放送響 マーラー 交響曲第5番嬰ハ短調(1986.1録音)

僕の心に刷り込まれているマーラーの交響曲第5番。
理由あって、かつて何年もの間聴いてきた、否、聴かされてきた(?)のが、エリアフ・インバル指揮フランクフルト放送響による演奏だった。

当時はレナード・バーンスタインの粘着質の演奏一辺倒だったので、僕は(ある種)斜に構えて聴いていたのだが、今、あらためて聴いてみると、何と清澄で、透明感のある、見通しの良い素晴らしい演奏かと感嘆した。

「すでに幼いころから瞑想という心の状態への自然な繋がりがあった」と氏は回想する。
その点で氏は、作曲家マーラーに自分との深い親和性を見出す。なぜならマーラーもまた、少年時代から非常に空想的、瞑想的な個性を持っていたことがよく知られているからだし、またその音楽こそは、氏によれば「すべての偉大な音楽がそうであるように、深く瞑想的なものを宿しているものだから」

インバル・ロング・インタビュー「私は指揮者になるために生まれてきた」(取材・文/長坂道子)
~「月刊 都響 2026年5月号No.421」P67

空想的、そして瞑想的な個性を持っているという自覚が素敵だ。
そんなインバルの、同質のマーラーの作品解釈が悪かろうはずがない。

そして音楽をすること、それは、氏にとってまさに瞑想することなのだ、と。「指揮者という仕事、それは音楽に生命を吹き込むことですが、その音楽そのものが瞑想なのです」
~同上書P68

インバルの言葉は素敵だ。音楽こそは動的瞑想であり、動の中の静を感じる大きな機会なのだと思う。

・マーラー:交響曲第5番嬰ハ短調
エリアフ・インバル指揮フランクフルト放送交響楽団(1986.1.23-25録音)

録音から早40年が経過する。
その数年後に、フランクフルト・アム・マインはアルテ・オーパーにて壮年期のインバルの実演を聴いたことが懐かしく思い出される。

僕は随分マーラーの第5番が苦手だった。支離滅裂さばかりが耳について、どんなこなれた演奏を聴いても正直心に響いたことがなかった。それがいつの間にか、マーラーの作品の中でも愛聴する音楽の一つになっているのだから不思議だ。
音楽を理解するのに重要な要素は先行きの見通しだ。
全体像がすっきり見出せて、(特にマーラーの場合は)粘らず、即物的な演奏ほど心に染みる。

何より第3楽章以降がとっておき(なかでも終楽章!)。
いまだに光輝放つ屈指の名演奏の一つだといえる。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む