モーツァルトの「ラ・フィンタ・センプリーチェ」K.51(46a)を聴いて思ふ

mozart_la_finta_semplice_hager時空を超える。本人の意思とは別に過去や未来を行ったり来たりできる能力を身につけている人はいるのかもしれない。あるいは、生とともに一旦全消去されるという「過去世の記憶」を持ったまま生まれ変わるということもあるのかも。例えば、モーツァルトの場合。でないと数多の傑作群、あるいは残された手紙類の天真爛漫な機微など説明がつかない。

わずか12歳で書き上げた2つのオペラを聴いてみる。ひとつは「バスティアンとバスティエンヌ」。後の「魔笛」につながり行くジングシュピールの第1作。そしてもうひとつは「ラ・フィンタ・センプリーチェ」。こちらは後の「フィガロの結婚」に行き着くオペラ・ブッファの原点。

「バスティアンとバスティエンヌ」序曲の、ベートーヴェンが「エロイカ」交響曲に流用した例の主題を生み出した天才。一方の、「ラ・フィンタ・センプリーチェ」の場合、当時流行だった下世話な男女の恋愛話にかくも真っ当な、そして相応しい音楽を付曲したという奇蹟。今でいうなら、おそらく「ごっこ」程度の恋愛しかしたことのない、あるいは仮に早熟であっても酸いも甘いも知らずに恋愛というものをどこか「空想」から出ない域でしか捉えることのできなかっただろう少年が、実に大人顔負けに「恋というもの」がどんなものなのかを「すでに知っていた」という驚異。過去と未来を自由に生き来できた人でしか為し得ない技がいくつもあるんだ。

少年時代のモーツァルトの手紙も実に大人びている。そして頓智が利いており、しかも実に冷静に全体観をもって物事を見つめる目の確かさ。

ママの手と、姉さんの顔、鼻、口もと、首すじに、それから、ぼくの貧弱なペンと、お尻にキスをします。もしそれがばっちくなければね。
~1770年5月2日付モーツァルトからナンネル宛追伸
「モーツァルトの手紙」P83

パパが外出しないので、ぼくはそれを聴きに行けません。幸いぼくは、アリアをほとんど全部暗記しているので、家にいながら、頭の中ですっかり聴いたり観たりできます。
~1771年11月2日付モーツァルトからマリア・アンナ宛追伸
「モーツァルトの手紙」P107

モーツァルト:歌劇「ラ・フィンタ・センプリーチェ」K.51(46a)
ヘレン・ドーナト(ロジーナ、ソプラノ)
ロベルト・ホル(ドン・カッサンドロ、バス・バリトン)
アンソニー・ロルフ・ジョンソン(ドン・ポリドーロ、テノール)
テレサ・ベルガンサ(ジアチンタ、メゾソプラノ)
ユッタ=リナーテ・イーロフ(ニネッタ、ソプラノ)
トマス・モーザー(フラカッソ、テノール)
ロバート・ロイド(シモーネ、バス)
レオポルト・ハーガー指揮ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団(1983.1.16-20録音)

交響曲第7番K.45からメヌエットを除いて用いたシンフォニア(序曲)からしてモーツァルトの独壇場。典雅で愉悦に溢れ・・・。もはや12歳の作品だとは誰も思わないだろう。
確かにこういう作品を突き付けられたとき、大人は焦るかも。猛烈に妨害工作をしたとされるグルックの気持ちもわからないでもないけれど。

この件に関してレオポルトは皇帝ヨーゼフ2世に直訴したらしいが、当時は現場のことはあくまで現場の劇場監督に一任されていたそうだからどうにもならなかった。音楽とは所詮その程度のものだったということだ(結局1768年の復活祭に上演されることになるのだが)。

第1幕フィナーレの出演者全員によるアンサンブル「礼儀作法はどこへいったの?」など後年のものに引けをとらない美しさ!
モーツァルトは時間と空間とを自由に生き来できたとしかやっぱり思えない。

 


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