チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル ショスタコーヴィチ 交響曲第1番ヘ短調作品10(1994.5&6Live)ほか

カラヤンとは別の意味で磨き抜かれたオーケストラ・サウンドに酔い痴れる。
極端な「ゆっくりズム」を除けば、その点さえ気にならなければ、あまりに精緻な造形に、実演とは思えない正確さにいつも感動を覚える。演奏する個々の力量は相当なもの。チェリビダッケの執拗な(?)要求に応えられるのだから大したものだ。

巨匠の音楽は禅との出会いから大きく変わった。
あくまで似非かも知れないが、それでも慈愛を心底に醸すチェリビダッケの音楽は希少だ。
珍しく(?)チェリのショスタコーヴィチ。
いやはや1番も9番も稀に見る素晴らしさ。
(7番や8番も願わくば残してほしかったと思うほどの素晴らしさ)

かつてチェリビダッケは東洋から三羽の色彩も美しい鴨を持ち帰り、3週間檻に入れたことがある。しかし彼を飼育親として受け入れてはくれなかった。そこでまた放してやった。「どこかに飛んで行ってしまい、二度と姿を見せませんでした」。
あるいやな日のこと(こういう事件は忘れない)、急に三羽の大きなアヒルの姿が見えなくなった。「アヒルや鴨、鶏などのためにも使用人が要るのです。何にでも使用人が必要」。それで? アヒルはどうなったのか? 彼の留守中にポックリ死んでしまったと聞いたが。「ばかばかしい。全部うそ。使用人が、連中が食べてしまったのだ」。あとは口をつぐむ。罵りたいのをぎゅっと我慢するように。
餌をやったりして野生動物を手なずけることは彼にとって「この上ない幸せ」。「本当に素晴らしいこと」。逆に、それを失うことは最大の衝撃である。「泣けてくる」。

クラウス・ウムバッハ/齋藤純一郎/カールステン・井口俊子訳「異端のマエストロ チェリビダッケ—伝記的ルポルタージュ」(音楽之友社)P287-288

優しい心の持ち主なのだろうと思う。
だからこそ彼は、自分にも、他人にも厳しい。

作曲する鳥類学者、鳥の声や歌をうまく真似したオリヴィエ・メシアンは好きかと彼に尋ねる。いや、嫌いだという返事。「全くばかげている。不自然で、わざとらしい・・・何のために。自然の中でも充分美しいのに。いや、自然の鳥のさえずりの方がずっと美しい音なのに。なぜ無理してオーケストラにその真似をさせなければならないのですか? 森の中や田畑の上のさえずりはフルートやオーボエが出す音色よりずっと本物で、純粋です。そう思いませんか?」
~同上書P288-289

チェリビダッケの言葉は屁理屈にも聞こえるが、いちいち的を射ている。
なるほど、彼の音楽は時に理屈っぽく聞こえるが、真に的を射た場合、はるかに強力な解釈として僕たちの眼前に現出するのだろうと思った。
ドミトリー・ショスタコーヴィチの素晴らしさ。
楽器のバランスといい、フォーカスする楽器のセンスといい、上質な写真を見るかのように鮮明で、音楽の質感、輪郭、すべてが明解。特に、最晩年の第1番ヘ短調は絶品!

・ショスタコーヴィチ:交響曲第1番ヘ短調作品10(1994.5.31, 6.2&3Live)
・ショスタコーヴィチ:交響曲第9番変ホ長調作品70(1990.2.9Live)
・バーバー:弦楽のためのアダージョ作品11(1992.1.15, 17, 19&20Live)

そして何より愛するバーバーのあまりの美しさ。
個人的にはバーンスタインがDGに録れたものがいち推しだが、それに負けず劣らず、自然の、ありのままを描くチェリビダッケの魔法。

実演で聴いた宇宿允人のそれを髣髴とさせ、あのときの感動が蘇る。

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