
1世紀余り前の録音。
思ったより音は悪くない。たぶん20年近く前に仕入れたもののほとんど聴かず仕舞いの代物。きちんと聴いてみて、後年の巨匠とは明らかに異なるものだが、こういうものまでレパートリーにしていて、意外に正統な演奏が多いのと、「フィデリオ」序曲などはいかにも巨匠らしい解釈が際立っていて素晴らしいことに驚かされた。
中で、クレメンス・フォン・フランケンシュタイン(バイエルン国立歌劇場の支配人だったようだ)の「マイアベーアの主題による変奏曲」。
大して面白い曲ではないが、シュトラウスの、1915年1月16日付、ホーフマンスタール宛の手紙を読み、ふとこの古い録音のことを思い出したのである。
クナッパーツブッシュの指揮する様々な変奏曲を聴くにつけ、(よく耳を澄ますと)各変奏の表情など「いかにも」と思わせるシーンがあり、この初期の珍曲録音についてもなかなか一筋縄では味わえない片鱗を感じさせる瞬間もあり、とても興味深い。
当時、シュトラウスとホーフマンスタールは楽劇「影のない女」の創作に余念がなかった。
またライプツィヒでは、ローゼの下で9回目のかなりよい《エレクトラ》の上演を聴きました。そこでもまた3月に、シュトラウス週間が行なわれる予定です。そのほか《アルプス交響曲》のオーケストレーションもやっています。要するに、熱心に仕事をしています。で、あなたはいかがお過ごしか、ぜひお伺いしたいと思います。グレーテ・ヴィーゼンタールが私どものところへ昼食に来ますが、この間、あなたが元気がない、つまり、今や死に絶え行くオーストリアを非常に深刻に心配しておられる、と語っていました。本当にそうなのでしょうか。オーストリアのドイツ文化圏がそのまま維持されること、そして新しいより美しい未来につながること、そしてそれ以外の部分は、どうぞご随意に本来属するところ、すなわち野蛮なアジアに行けばいい、とだけ考えておくことにしましょう。
~ヴィリー・シュー編/中島悠爾訳「リヒャルト・シュトラウス/ホーフマンスタール 往復書簡全集」(音楽之友社)P256
第一次世界大戦の最中のこと。シュトラウスの言動が、相変わらず差別的であることは横に置くとして、仕事に邁進している様子がわかり、面白い。
なお、手紙の後半部分では、件のフランケンシュタインについての言及がある。「ばらの騎士」がキャンセル続きで不当に扱われるのに対し、「タンホイザー」ばかりが上演されるという不満を述べつつ、シュトラウスは書く。
3年前から、私が生れ故郷の町で政党に扱われるように、と期待していましたし、ワルターにも警告し、フランケンシュタインにも頼みましたし、彼のために2回無料で《アリアドネ》を、またこれも無料で2回《エレクトラ》を指揮したのですが、何もかもむだでした。彼は、あなたと私に約束したことを実行するよりは、2ヶ月の間に5回も、不入り間違いなしの《バグダッドの理髪師》(Barbier von Bagdad)を上演する方がましだと思っているのですから。もうやめましょう。これ以上は申し上げませんが、私はもし近く、恒常的、かつ規制的に、ミュンヘンでの状態が改善されないなら、ミュンヘンでは決して《影のない女》を上演させないということを誓って申し上げます。こんなことはあなたにはあまり興味のないことでしょうが、何といってもそう戦争のことばかりお話ししているわけにはいきませんから。
~同上書P256-257
自我と自我とのぶつかり合い。
あるいは、西欧社会らしい駆け引きの応酬。
アジアは野蛮だとするが、そう、洗練されない、ある種駆け引きではない、阿吽の世界に目覚めることが真の平和を取り戻す最終手段だとあらためて思うのだ。
いかにもクナッパーツブッシュらしい、聴衆を喰ったようなそっけない開始を見せる「アルプス交響曲」を久しぶりに聴いた。
大自然の呼吸と同期する、数多の神々が、八百万の神々が(作曲家の意思とは裏腹に)宿る壮大な音楽に感動する。
全編通じて、クナッパーツブッシュは呼吸しているだけといっても過言でないくらい奇を衒わない、しかし、音楽の力強さだけは並大抵でないことを感じさせる大演奏。
