
名演の名盤多いオットー・クレンペラーの遺産の中でも屈指の名盤がこれ。
改変あるライヴ盤も素晴らしいが、原典で収録したセッション録音は人類の至宝といえる。
幾度も記事にしているのでもはや僕が書くことはないのだが、時折思い出しては聴きたくなる。クレンペラーがどんな薀蓄をたれようと、終楽章コーダのあの晴れたように広がる能天気な(?)展開が好きだ。
これぞ「煩悩即菩提」。
オセロ・ゲームの黒が一気に白にひっくり返るという奇蹟のようだ。人生において何も怖れるものはない。すべては必然であり、未来は明るいのだと知るが良い。
幼児の記憶、若い頃の体験。
環境が人の感性に影響を与える最たる例だ。
オットー・クレンペラー自身は、「本物の」ハンブルクっ子だと感じたことはなく、後年あるジャーナリストに、自分は多くのユダヤ系音楽家と同じように「ポーランド出身だ」と言ったものだ。いっぽう彼の母イーダは、自分の街ハンブルクを愛していた。ここはヨハネス・ブラームスとフェーリクス・メンデルスゾーンの生地であり、ハイネが住んだ街であり、さまざまな言葉が話され、帆船や汽船が行き交い、運河と橋に溢れ、エレガントな大通りユングフェルンシュティークが延び、潮の匂いが漂い、劇場や美術館やコンサート・ホールで文化が栄えていたところなのだ。母イーダにしてみれば、ブレスラウなど、居心地のよくない地方都市にすぎなかったのである。それにひきかえハンブルクは国際都市であり、「個性のある街」であり、ハンス・フォン・ビューロー、ヨーゼフ・ヨアヒム、チャイコフスキーといった数々の大芸術家が芸を披露していたところなのだ。
~エーファ・ヴァイスヴァイラー著/明石政紀訳「オットー・クレンペラー―あるユダヤ系ドイツ人の音楽家人生」(みすず書房)P15
ハンブルクはビートルズが苛酷な長時間ギグを連日こなした、いわば武者修行の街でもある。そこを経て、彼らは世界的なバンドへとあっという間に変貌して行く。
(まさに数々の大芸術家が芸を披露していたところなのだ)


