昔のムターは良かった!

心ある(?)教え子がまたもや音盤を贈ってくれた。これまで真面目に聴いてこなかったカラヤンのEMI録音がどっさり。その中から一つのセットを聴いてみた。昔アナログ盤で繰り返し聴いたムター&カラヤンによるヴィヴァルディの「四季」、余白にはマスネの「タイースの瞑想曲」。昨日は「昔のマイスキーは良かった」という記事を書いた。今日はさしずめ「昔のムターは良かった!」かな。最近のムターはヴィルトゥオーゾ的境地に達するようで一般的にはすこぶる人気が高い。しかし、実演を何度か聴き、毎年のようにいくつもリリースされる録音を聴いてみても、昔のように心を震わされることが極めて少ない。若き日、カラヤンの秘蔵っ子として活躍した、あの頃の純粋、かつ素直に師匠に奉仕する姿勢が最早懐かしい。1980年頃、NHK-FMで初めてムターの音楽を聴いたとき、何よりその豊なヴィブラートに癒された。そして涙が出るほど感動した。時を経て僕の耳、感性が変わったのかとも考えたが、そうでもないかも。もちろん音楽家として研ぎ澄まされた技巧をもとに完璧な音楽をするムターも素晴らしいのだが、大事な何かを失っていないか・・・。謙虚に自然体でことに臨む、そういうときこそ真の意味で力強さを発揮する。

ところで、この2枚組音盤のもう1枚はモーリス・アンドレ(懐かしい!)を独奏者に迎えたトランペット協奏曲集。久しぶりに聴いた。この華麗なパフォーマンスは人類の至宝なり。

フンメル:トランペット協奏曲変ホ長調(ウーブラドゥー編)
レオポルト・モーツァルト:トランペット協奏曲ニ長調(ザイフェルト編)
テレマン:トランペット協奏曲ニ長調(グレーベ編)
ヴィヴァルディ:トランペット協奏曲変イ長調(ティルデ編)
ヘンデル:「水上の音楽」組曲(ハーティ編)
モーリス・アンドレ(トランペット)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

先日聴いたシュトラウスの「英雄の生涯」もそうだったが、上手いトランペットを聴くとスカッとする。ストレスを軽減してくれる音の波が脳天を直撃する。ベートーヴェンと同時代を生きたフンメルの協奏曲(確実にモーツァルトの影響を受けていることがわかる)、そしてアマデウスの父、レオポルトによる協奏曲、いずれも絶品である。こういう曲を吹かせてアンドレの右に出る者はいまい。

初めてまともに「運命」交響曲を聴いたのは、中学生の頃だったか、カラヤン&フィルハーモニア管弦楽団による音盤(よくよく調べると1954年11月9日、10日の録音。フルとヴェングラーの死のわずか20日前!)によって。ここから僕のオタク人生が始まった(笑)。


4 COMMENTS

雅之

おはようございます。

>「昔のマイスキーは良かった」
>「昔のムターは良かった!」かな。
>もちろん音楽家として研ぎ澄まされた技巧をもとに完璧な音楽をするムターも素晴らしいのだが、大事な何かを失っていないか・・・。謙虚に自然体でことに臨む、そういうときこそ真の意味で力強さを発揮する。

そういった発言、私もよくするのですが、
決まって、後で自己嫌悪に陥ります。
あ~やだやだ、このクラヲタの「小姑的体質」、ってね。

パブロ・ピカソは、「青の時代」「バラ色の時代」「アフリカ彫刻の時代」「セザンヌ的キュビスムの時代」「分析的キュビスムの時代」「総合的キュビスムの時代」「新古典主義の時代」「シュルレアリスムの時代」「ゲルニカの時代」と、どんどん作風を変化させていきました。
マイルス・デイヴィスも、散々ファンに非難されながら、「第一期クインテット・シクステット」「カインド・オヴ・ブルー時代」「第二期クインテット」「ロスト・クインテット」「ビッチェズ・ブリュー期」「ライヴ・イーヴル期」「オン・ザ・コーナー期」「一時引退直前期」「カムバック後 前期」「カムバック後 中期」「カムバック後 後期」「ラスト・バンド期」と、絶えず自分をぶっ壊しリスクを伴いながら、未知の領域を開拓していきました。

現在のマイスキーやムターの演奏を、何故、次の、より深化させた演奏スタイルへ移行するための過渡期であるという、温かい「愛のある」捉え方が何でできないのですか? 

>実演を何度か聴き、毎年のようにいくつもリリースされる録音を聴いてみても、昔のように心を震わされることが極めて少ない。

そんなの、新しいことに冒険、チャレンジしているわけですから、
試行錯誤の時期なら成功確率が低くなるかもしれないけど、
たまたま聴かれなかった回、ツボにハマって大成功した時、
10回に1回くらい爆発的名演になるかもしれないじゃないですか。
簡単に、自分の少ない経験則だけで、
人気の一流アーティストを見くびるなってことです。

それに、彼らの今の演奏スタイルだって、
50年後には再評価されるかもしれないじゃないですか!
理解できなかった当時の聴衆のほうが馬鹿だったってね(笑)。

チャイコフスキーが48歳で名作・交響曲第5番を作曲・初演したとき、
「チャイコフスキーは枯渇した」と、聴衆や評論家から散々だった、
てな話は芸術では普通によくあることなので・・・。

・・・・・・

「法隆寺は焼けてけっこう」

「誤解される人の姿は美しい」

「過去は現在が噛み砕き、のりこえて、
われわれの現実をさらに緊張させ輝かすための契機であるにすぎません。
現在が未来に飛躍するための口実なのです。
つまり、かんじんなのはわれわれの側なので、見られる遺物ではない」

「人間は生きる 瞬間、瞬間で、自分の進んでいく道を選ぶ。
そのとき、私はいつだって、まずいと判断する方、
危険な方に賭けることにしている。
極端な言い方をすれば、己を滅びに導くというより、
自分を死に直面させる方向、黒い道を選ぶということだ。
無難な道を選ぶくらいなら、私は 生きる死を選ぶ── 
それが、私の生き方のスジだ」 

・・・・・・岡本太郎

返信する
岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
岡本太郎の言葉身に染みます。
しかし、こういう天才的な大芸術家と僕らが明らかに違うのは、頭で分かるもののついつい先のような「小姑的」発言になってしまうところですかね。確かにピカソやマイルスの例を考えてみると、受け取る側の我々の感性が追いついていないということでしょうし。「ビッチズ・ブリュー」などは、ひょっとすると今だから「わかっている」だけかもしれませんし、もっというなら「わかっているつもりになっている」だけかもしれません。まぁ、凡人とはそんなものです。
ムターについては確かに少ない「情報」の中での稚拙な判断かもしれませんが、寄り添う誰かがいたときのある意味頼りのない、危うい、それでいて一生懸命についていこうとする素朴な姿がどうも僕は好きなようです。アーティストとして自立し、独自の解釈を極めていく中で老練の境地に達していくプロセスを堪能するのも面白いのですが。モーツァルトのコンチェルトの録音もカラヤンと演奏したデビュー盤、あるいは「四季」と同じ頃に録音したムーティとの録音がやっぱり僕は好きです(一般にはそれほど評価は高くないようですが)。

とはいえ、「より深化させた演奏スタイルへ移行するための過渡期であるという、温かい「愛のある」捉え方」ができなかった自分が恥ずかしいというのも確かです(苦笑)。少しじっくりと研究してみますわ。

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雅之

こんばんは。

申し添えますが、私はムターの熱烈なファンでもなんでもありません
(残念ながらマイスキーも・・・、いつも批判的になってしまいます)。
それでも、今回私は、彼女や彼を擁護したいのです。

彼女のブラームス:ヴィオリン・ソナタのBlu-ray Disc
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3841755
は、ちゃんと買ってチェックしております。
彼女のこれまでの人生経験がしっかり裏打ちされた、
彼女の楽曲への思いがひしひしと伝わってくる
素晴らしく説得力があるブラームスの名演・名盤だったです。
私は、今や、ブラームスはこうでなくちゃ聴く気になれません。
映像を伴った商品としても完璧だと思います
(Blu-ray Discの映像は、彼女の顔のソバカスまでも鮮明に映し出します)。

昔、彼女が十代のころののワイゼンベルクとの共演の録音のほうが
端正でお好きかもしれませんがね。
ただ、クラシックは、昔と同じ演奏をしたんじゃつまんないし、
私は断然新盤が好きですね。

こんな議論は、聴く人の立ち位置や年齢や、人生の経験値などによって、
どうにでも評価が変わるでしょう。
少なくとも私は、彼女がなぜこういう演奏スタイルになったか、
何となくわかる気がしますし、このブラームスには心から共感できます。

当然ですが、私や岡本さんが、嫌いな演奏の「嫌いな理由」は、
半分は演奏家ではなく、私や岡本さんによるものです。
音楽とは、「相互作用」なので・・・。

なお、人間を天才と凡才で区分することは、今回もしたくありません。
そんな境界線など、どこにも存在しません。
岡本さんも、紛れもなく天才です。

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岡本 浩和

>雅之様
こんばんは。
まったく返す言葉がございません。
ブラームスのソナタも未聴ですし、今のムターについてあーだこーだという資格はないかもしれません。

>ただ、クラシックは、昔と同じ演奏をしたんじゃつまんないし、
>聴く人の立ち位置や年齢や、人生の経験値などによって、
どうにでも評価が変わるでしょう。
>私や岡本さんが、嫌いな演奏の「嫌いな理由」は、
半分は演奏家ではなく、私や岡本さんによるものです。

その通りだと思います。いずれにせよ、演奏の善し悪しというより結局好き嫌いですからね。
僕も新盤を聴いてみて、やっぱりワイセンベルクとの旧盤がいいと思うかもしれませんし、「いや、これはすごい」と思うかもしれません(ちゃんと聴いて観てみますね)。

>岡本さんも、紛れもなく天才です。
恐れ入ります・・・。

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