是か非か

内田光子がベートーヴェンの後期ソナタを完成させた。つい先日発売されたのは後期の入口に位置する作品101と楽聖が孤高の境地に達する「ハンマークラヴィーア・ソナタ」作品106の2曲。本日購入し、早速聴く。

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第29番変ロ長調作品106「ハンマークラヴィーア」
内田光子(ピアノ)

この曲はおそらくピアニストにとっても超難曲で、1度や2度聴いただけで理解できる代物ではない。しかし、第9交響曲や後期弦楽四重奏曲に通ずる「人間臭さ」と「神々しさ」が同居する「崇高な宇宙的」広がりを持つ。僕自身クラシック音楽を聴き始めて30年近く経ちやっとその本質が理解でき始めてきたと言っても言い過ぎではないだろう。前にも書いたが、印象的なのは1999年、エリック・ハイドシェックの来日リサイタルでのハプニング。体調不良を押して公演を継続していた彼に以降の公演のキャンセルを決断させた「鬼のような」楽曲なのである。聴く側にもニーチェの哲学書全部を読み切るかの如くの途轍もない肉体的エネルギーと精神力とを要求するゆえ決して日常的に聴ける音楽ではない。

その楽曲の内田盤。実は「若干拍子抜け感」があるというのが本音。僕の耳には少々軽く聴こえるのである。「抜け切っていない中途半端さ」というのが正しいというのか何というのか・・・。むしろ、28番イ長調作品101の方に軍配が上がるか・・・。
ただし、あまりに期待してたがゆえに上記のように感じたという直感的感想なので当てにはならない。再度じっくりと聴かねば・・・。

追記
再度聴きました。何だか全曲終わるごとにもう一度最初から聴きたくなります。ということは駄盤ではなく名盤でしょう。上記訂正です。一音一音意味深いものがあり奥深い演奏なのかも。しばらく愛聴盤になりそう。

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