フィッシャー=ディースカウ フルトヴェングラー指揮フィルハーモニア管 マーラー 歌曲集「さすらう若人の歌」(1952.6録音)

英語には、「愛の仕事」(レイバー・オブ・ラブ)という言葉がある。特に報酬を期待しているわけでもなく、賞賛される見込みがあるわけでもなく、ただ、その対象を愛しているという理由だけで、魂を込めて作り上げたもの。そんな作品の中には、私たち人間のもっとも純粋な命のエネルギーが詰まっている。そして、読む者は、深い感銘を受けざるを得ない。「愛の仕事」は、「読むクスリ」。明日を生きようという元気が生まれてくるのだ。
ある作品を前にして、それが「愛の仕事」だとはっきりわかることがある。世界的なバリトン歌手、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウによる『ワーグナーとニーチェ』はそんな一冊。必ず、人生の宝ものになる。「愛の仕事」の見本として、本棚に置いておきたい。

茂木健一郎 解説「愛の仕事」
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ/荒井秀直訳「ワーグナーとニーチェ」(ちくま学芸文庫)P457

公心による仕事こそ僕たちが生涯をかけて勤しまなければならぬものだ。
あれほどの名歌手が、命を懸けて歌ってきた証。まさに「クスリ」なんだと思う。

フラグスタート フルトヴェングラー指揮フィルハーモニア管 ワーグナー 楽劇「神々の黄昏」から「ブリュンヒルデの自己犠牲」(1952.6.23録音)

フラグスタートを独唱に据え、フルトヴェングラーが棒を振った楽劇「神々の黄昏」から終幕「ブリュンヒルデの自己犠牲」を初めて聴いたのは高校2年生の時。それは、東芝エンジェルの「フルトヴェングラーの芸術シリーズ」からの1枚で、カップリングはマーラーの歌曲集「さすらう若人の歌」だった。
僕の目当てはむしろマーラーの方だったのだが、結果、聴き込んだのはワーグナーだった。
雷が落ちたかのような衝撃を、僕は初めて聴いた瞬間から覚えた。
(この録音は生涯の宝として今も時折取り出して聴く)

暖かい、というより暑い 暖かい、というより暑い

フィッシャー=ディースカウ独唱によるマーラーも、とても優れた、素晴らしい録音だ。
かつてサントリーホールで、サヴァリッシュ指揮NHK交響楽団の伴奏で、ディースカウが歌う「さすらう若人の歌」を聴いた。バブル期真っ只中で、聴衆も(クラシック音楽とはあまり縁のなさそうな)派手めな人が多かったように記憶する。夢のような時代の記憶と共に僕の心の中であの夜の奏でられた音楽の素晴らしさを忘れることはできない。後半は、ディースカウの細君であったユリア・ヴァラディの独唱によるマーラーの交響曲第4番ト長調だったのだから、これ以上ない組み合わせで、それらの名演奏に僕は終始満足だった。

ヴァラディ&フィッシャー=ディースカウ ヴァラディ&フィッシャー=ディースカウ

あらためてフィッシャー=ディースカウ独唱、フルトヴェングラー指揮フィルハーモニア管弦楽団による「さすらう若人の歌」を聴いた。

・ワーグナー:楽劇「神々の黄昏」から第3幕「ブリュンヒルデの自己犠牲」
キルステン・フラグスタート(ソプラノ)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮フィルハーモニア管弦楽団(1952.6.23録音)
・マーラー:歌曲集「さすらう若人の歌」
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮フィルハーモニア管弦楽団(1952.6.24-25録音)

遅めのテンポで堂々と音楽を奏するフルトヴェングラーの伴奏に映える、若きフィッシャー=ディースカウの青春の歌。10代の僕はこれによってマーラーに目覚めたといっても過言ではない、当時繰り返し聴いた名録音。

フルトヴェングラー指揮フィルハーモニア管 ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」(1952.6録音)を聴いて思ふ

楽劇「トリスタンとイゾルデ」(これも名録音!)の合間を縫って(セッションが順調に進んだおかげで急遽組まれたものらしい)収録された逸品。(こんな偶然があっていいものかという奇蹟)

ディースカウはその後も再録音しているが、これを凌駕するものはない(と断言できる)。

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