フルトヴェングラー指揮フィルハーモニア管 ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」(1952.6録音)を聴いて思ふ

ニーチェと袂を分かったリヒャルト・ワーグナーの思想は、晩年には行き着くところまで行き着いたのだといえる。しかし、実に残念ながら、彼が望む「真の宗教」を全うする術、あるいは法はその時点では衆生に開陳され得なかった。

晩年のワーグナーは、ショーペンハウアーに手引きされて仏陀の教えに興味を持つようになった。そして殺生や肉食を戒める仏教や婆羅門の教義に共感を寄せるようになった。何はともあれ、「宗教と芸術」のそれに関連した箇所を読んでみよう。
「人間の罪業に関する教義は、それに先立つ生きとし生けるものの一体性をめぐる認識と、感覚に基づいた見地の迷妄をめぐる認識に端を発しているのだが、私たちは感覚に欺かれて千変万化する多様性や差異に目を奪われ、生きとし生けるものの一体性を見失っている。したがってこの教義は、きわめて深遠な形而上学的認識から生み出されたものであって、婆羅門がこの生命ある世界における多彩をきわめた現象を「汝はそれなり! TAT TVAM ASI」と意味づけて示したとき、私たちとともに生を享けた生き物を殺すことは、自らの肉を切り裂き、貪り啖う所業にひとしいのだという意識が私たちのうちに呼びさまされたのであった。」

三光長治「あとがき 晩年の思想」
三光長治監修「ワーグナー著作集5 宗教と芸術」(第三文明社)P408

当を得た志向に膝を打つ。何よりすべてがショーペンハウアーからの影響である点が興味深い。

しかしワーグナーのショーペンハウアー体験は、こうした自己確認の域にとどまるものではない。《トリスタン》の作曲が大づめを迎えていた58年12月にヴェネツィアからマティルデに書き送った手紙は、ひとたび受容した思想を徹底的に咀嚼し、自家薬籠中のものとしたうえで、批判的に乗り越えずにはおかぬ「思索する芸術家」の面目躍如たるものがある。「今回はショーペンハウアーの体系を拡張し、誤りを正そうという気持ちにさせられました。それは愛によって意志を完全に沈静化させるという救済の道である。決定的なのは、そのために、ショーペンハウアーその人が私に与えた諸概念を素材として利用したということです。」
池上純一「美を超えて目覚めるもの」
ワーグナー/三光長治監訳/池上純一・松原良輔・山崎太郎訳「ベートーヴェン」(法政大学出版局)P504

「トリスタンとイゾルデ」作曲の頃からすでに晩年の思想の萌芽が読み取れる。
中で、ワーグナー自身によって語られる「愛によって意志を完全に沈静化させるという救済の道」という言葉が心に刺さる。「トリスタン」は救済の道としての一つの愛の啓示だった。

「トリスタンとイゾルデ」といえば、晩年のフルトヴェングラー盤が愛おしい。

・ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」
ルートヴィヒ・ズートハウス(トリスタン、テノール)
キルステン・フラグスタート(イゾルデ、ソプラノ)
ブランシェ・テボム(ブランゲーネ、メゾソプラノ)
ヨーゼフ・グラインドル(マルケ王、バス)
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(クルヴェナール、バリトン)
ルドルフ・ショック(牧童/水夫、テノール)
エドガー・エヴァンズ(メロート、テノール)
ローデリック・デイヴィス(舵手、バリトン)
ダグラス・ロビンソン(合唱指揮)
コヴェントガーデン王立歌劇場合唱団
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮フィルハーモニア管弦楽団(1952.6.9-23録音)

滔々と流れる大河の如くの音の魔法。
フルトヴェングラーの方法は、音楽に主観的に没入しながらも、あくまで客観的にワーグナーの志向する「愛の救済」を描くことだった。その意味で、聴衆を意識しないスタジオでの録音であったことが大きい。これは、ウォルター・レッグの最大の遺産の一つである。

ところで、ヒズ・マスターズ・ヴォイス社宛のフルトヴェングラーの手紙には次のようにある。

ようやくトリスタンのレコードを最後まで聴きましたが、なによりもワーグナーの作品の力に驚嘆しました。舞台の問題がすっかり姿を消してしまったこういう形で聴いてはじめて、私たちは認識を新たにするのです。このたぐい稀れな作品のなかの、音楽的な連関と弱まることを知らない霊感とが、いかに壮大なものであるかを。レコードはしょせんコンサート・ホールにおける共同の音楽体験の不完全な代用物でしかありえない—一般的にはこのように言わなくてはならないにしても、どんな舞台上演に比べても遜色のない音楽を聴かせてくれるこの種のグラモフォン盤には、それなりの功績があるというものです。
(1953年初め? ヒズ・マスターズ・ヴォイス社宛)
フランク・ティース編/仙北谷晃一訳「フルトヴェングラーの手紙」(白水社)P273

フルトヴェングラーにレコードの価値を初めて知らしめた録音こそが「トリスタンとイゾルデ」だった。「それなりの功績」どころか、録音から70年近くを経ても、輝きを決して失わない名演奏の名録音だと思う。

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