リヒャルト・ワーグナーの智慧の源。
壮大な物語の泉たる北欧神話の一端を学ぶのは、実に面白い。
ウルザルブルンのほとりに住むノルンたちは毎日、泉から水を汲んで、また泉のまわりにある泥もとって、トネリコの上にふりかけて、その枝が乾いたり腐ったりしないようにする。そしてその水は非常に神聖で、泉の中に入ったものはすべて、卵の殻の内にあって皮と呼ばれる薄膜と同じように白くなるほどだ。ここにこう語られているように、
トネリコの水ふりかけらるるを私は知る、
その名はユッグドラシル、
高く、聖き樹が
白き泥水をもて。
そこから来るものこそ
谷間に降る露しずく、
樹はつねに緑なし
ウルズの泉の上にそびえ立つ。
(「巫女の予言」19)
~菅原邦城「概説 北欧神話」(筑摩書房)P52-53
日月星辰の創造が語られる。
もちろん他にもドイツ語圏の伝説たる「ニーベルンゲンの歌」もワーグナーを理解する上で避けては通れぬものだ。(知識の習得はきりがない)
何にせよ神々という目に見えない存在は、古今東西問わず、様々な形で伝承されてきた。
(昨年惜しくも亡くなった)飯守泰次郎の音楽講座「神々の黄昏」を観ていて、思った。
飯守さんの、示導動機をピアノで弾きながら懇切丁寧に解説される様子にワーグナーの作曲法の堂に入った緻密さに感激するとともに、どうやら僕は「ニーベルングの指環」の「ニ」の字もまだまだマスターできていないと痛感した。音楽的な奥深さ、そして北欧神話をはじめとする数多の伝説を縦横無尽に駆使し、壮大な音絵巻を完結させたワーグナーにあって、あえて答を秘め、聴衆にその真意を想像させようとするマジックにやっぱり言葉がない。
飯守さんの解説によると、「ブリュンヒルデの自己犠牲」の中、「救済の動機」が徐に奏される最後の7小節(特に半音下がる箇所)について様々な議論が為されているという。
ちなみに、ワーグナーの下降音型が「死」を意味し、上昇音型が「生命力」を意味するものであるならば、ここは生を終え、死に向かう前の中間点、すなわち煉獄に浮遊するような、そんなイメージだろうか(それこそ私的勝手な思いつきだが)、かなどと考えたが、しかし、「概説 北欧神話」中「神々の物語」によると、
フレイ神の使者スキールニルが彼に代わって巨人の国へ求婚に赴いたとき、神が死者に与えた、ゆらめく炎を飛び越える馬は、その名前は不明だが、スレイプニルかその血を受けた常ならざる馬であったのではないか。ちなみに、英雄伝承でシグルズの愛馬グラニは、スレイプニルの血をひく灰色をした最良の馬で、ブリュンヒルドの城を囲む燃える炎の中をくぐっていったとされる(『ヴォルスンガ・サガ』13、29章。エッダ詩「ブリュンヒルドの冥府下り」10-11)。若者シグルズはこの馬を、オージンの助言によって選んだのだった。
~同上書P111-112
という記述があるので、
たとえ犠牲であろうと自死を選んだブリュンヒルデの行き先は冥土、つまり地獄であり、解脱できない彼女の愛の形をあえて来世での解決を望むべく、ワーグナーは(曖昧な、あるいは確信のない)半音に託したのではないかと想像した。
久しぶりにフラグスタートがフルトヴェングラーの伴奏でブリュンヒルデを歌った名盤を聴いた(輝かしい、崇高な歌唱!)。やっぱりこれは僕の原点だ。
・ワーグナー:楽劇「神々の黄昏」から第3幕「ブリュンヒルデの自己犠牲」
キルステン・フラグスタート(ソプラノ)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮フィルハーモニア管弦楽団(1952.6.23録音)
どうせならハーゲンの断末魔の叫び(?)「指環から離れろ!」まで収録してほしかった。
フラグスタート フルトヴェングラー指揮フィルハーモニア管 ワーグナー 「ブリュンヒルデの自己犠牲」(1952.6.23録音)ほか ファーレル バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィル ワーグナー「ブリュンヒルデの自己犠牲」(1961.9.30録音)ほかを聴いて思ふ フラグスタート メルヒオール ヤンセン ウェーバー フルトヴェングラー指揮ロンドン・フィル ワーグナー 楽劇「神々の黄昏」(抜粋)(1937.6.1Live) フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル ワーグナー 「パルジファル」第1幕前奏曲と聖金曜日の音楽(1938.3.15録音)ほか フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルの「トリスタン」前奏曲と愛の死(1938録音)ほかを聴いて思ふ フルトヴェングラー指揮RAIローマ響のワーグナー「神々の黄昏」(1953.11Live)を聴いて思ふ