リヒテルのショパン「スケルツォ全集」(1977録音)を聴いて思ふ

chopin_scherzi_richter211物語をひとつひとつじっくりと、しかも自然体で紡ぎ出すような演奏。
スケルツォ第1番の中間部モルト・ピウ・レントの、音符を実に丁寧に鳴らし、夢見るような美しい楽想を編み上げる天才。軽快な主部との対比に感動し、音の移ろいの見事さに感服。おそらく真実は録音には入りきっていないように思う。スヴャトスラフ・リヒテルこそ実演でなければ絶対にわかり得なかったピアニストであったろう。
あるいはスケルツォ第2番における「間」の良さ!そして、ここでもトリオ=インテルメッツォのあまりに哀しみに満ちた憧憬に心動かされる。そして、スケルツォ第3番の第2主題の静かな慟哭!マジョルカ島にて着手されたこの作品の内側に見る苦悩は、ジョルジュ・サンドとの蜜月から生まれた愛の象徴ではなく、体調不良から生じる自身の創作力の低下に想う自己不信だ。しかしながら、その自己憐憫も情熱的な主題によって打ち消されるかのように包み込まれる。

リヒテルが、ブラームスの第2協奏曲の各々の楽章に対して独自のストーリーを展開した時、次のように語ったそう。

こういうストーリーを作ることはめったにない。すべての音楽がこんなことを考えさせるわけではないんだ。ただし、こういう想像力を働かせて演奏したい作曲家は確かに存在する。そんなところさ。ストーリーをでっちあげる必要はまったくない。しかし、ショパンはどうだ?―たとえば、スケルツォ第4番、あれはまだ飛び方を習得していない天使を描いている。岩壁に衝突し、自分で翼を繕う。
ユーリー・ボリソフ著/宮澤淳一訳「リヒテルは語る」(ちくま学芸文庫)P84

よりにもよって天使とは・・・。想像を絶するイマジネーションである。
しかし、この作品が書かれた晩年のショパンの心境を思うと、リヒテルの想像もあながち的外れでないようにも思える。結核による身体の衰弱に対して、一層充実する創造力と精神性。スケルツォ第4番に聴く奔放かつ垢抜けた明朗さは、サンドとの関係がどんなものであったにせよ作曲家の心が最高に充実していたことを示す。

ショパン:
・スケルツォ第1番ロ短調作品20
・スケルツォ第2番変ロ短調作品31
・スケルツォ第3番嬰ハ短調作品39
・スケルツォ第4番ホ長調作品54
スヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ)(1977.7録音)

なるほど、当時のショパンは「壊れた天使」ということか。言うことを聞かなくなる自身の身体からまるで幽体離脱するかの如くの聖なる楽想が、リヒテルによって緻密に、そして流れるように編まれる。美しい・・・。

 

ブログ・ランキングに参加しています。下のバナーを1クリック応援よろしくお願いいたします。


日記・雑談(50歳代) ブログランキングへ


コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む