人間の性、というか習性というのは根本的には変わらないもの。決して大意なくとも「女好き」は生涯「女好き」として常に物議を醸す。
リヒャルト・ワーグナーも、良かれ悪しかれその端くれ。コジマとのほんのちょっとしたすれ違いによってその死期を早めただろうことは身から出た錆というのか何というのか。少なくとも「コジマの日記」をひもとく限りにおいて、2人がまさにソウル・メイトといえる関係で、相思相愛以上のつながりがあったことは認めざるを得ないにもかかわらず、最後まで無意識の駆け引きをしてしまったのだから人間というのは・・・。
この大芸術家の終焉を語るためには、2月13日の当日、コジマがピアノに向かってシューベルトの「涙を湛えて」を弾いていた場面から始めなければならない。2時近く一家と昼食を共にするためにやってきたジュコーフスキーがその場を目撃して手記を残しているが、彼女は曲を弾きながら「涙を流していた」。なぜコジマはことさらに涙をテーマにした曲を弾き、自ら涙にかきくれていたのか。この直後に自室で机に向かっていたワーグナーは心臓発作を起こし、急を告げられてその場に駆けつけた愛妻の腕に抱かれたままあの世に旅立っている。医師の死亡診断書には―遠回しながら―発作が心因性であり、「昂奮」が死期を早めた可能性がある旨しるしてあった。娘のイゾルデの証言によると、当日の朝、夫婦の間に激しいやりとりがあった。諍いの種は女性で、ワーグナーが前年の夏「パルジファル」に出演した「花の乙女」のキャリー・プリングルをヴェネツィアに招待しようとして、コジマの反対にあったというのが真相らしい。
~三光長治著「カラー版作曲家の生涯ワーグナー」(新潮文庫)P189
ヴェネツィアでワーグナーが死んだという報せに、ブラームスは哀悼の意を表して合唱団の練習を打ち切り、こう言ったという。
巨匠が死んだ。今日はもう何も歌うものはない。
~三宅幸夫著「カラー版作曲家の生涯ブラームス」(新潮文庫)P142
当時のヨーロッパでの「ワーグナー派対ブラームス派」という争いは、当人たちの間よりむしろその取り巻きによって為された幻想。少なくともその芸術作品に関し、いかにブラームスがワーグナーを認め、受け容れていたか。
同年、ヨハネス・ブラームスは自身の3番目の交響曲の作曲に着手し、それは5ヶ月ほどで完成をみた。この革新的な、すなわち全楽章がディミヌエンドで終結するという特異なフォルムをもつ交響曲が、ワーグナーの死を契機にし、巨匠を悼む思いを表するべく生まれたものだと考えるのはあながち間違いでないように僕は思う。
いずれにせよ1883年12月に、ハンス・リヒター指揮の下ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によって初演されたこの作品は空前の大成功を収めたという。
ブラームス:
・交響曲第3番ヘ長調作品90
・ハイドンの主題による変奏曲作品56a
クルト・ザンデルリンク指揮ベルリン交響楽団(1990録音)
ハンス・リヒターさながら、職人クルト・ザンデルリンクのインテンポの堂々たる演奏は、ブラームスの重厚な精神を追随する。豪快な主題を持つ第1楽章アレグロ・コン・ブリオの悠揚たる響き!そして、第2主題の燻った実に柔和な音色。
素朴な第2楽章アンダンテは、木管による主題提示が美しい。さらに、第3楽章ポーコ・アレグレットの決して粘らない寂しき憧憬!!ここには浪漫はなく、ザンデルリンクはあくまでブラームスの心象風景のみをただひたすら音化する。
白眉は終楽章アレグロ。この闘争の音楽が、決して咆えず力まず、縮こまることなく冷静沈着に進行する様に感動。何という音宇宙!!
ちなみに、「胸がむかつくほど陳腐で、冗漫な、根本的に虚偽で、ひねくれた音楽」、あるいは「ブラームスの3つの交響曲とセレナードを全部いっしょにしたものよりも、リストの作品のシンバルの一打ちの方がもっと知性と情緒を表現している」と、初演を聴いて評したフーゴー・ヴォルフの暴言(?)は行き過ぎではあるが、こういう捉え方もあるのかとある意味首肯。
人間の感覚とは千差万別、真に面白い。
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ザンデルリンクのブラームスには、ドレースデン・シュターツカペレを指揮した全集もあります。こちらの法も聞きごたえ十分です。1973年、ザンデルリンクがこのオーケストラと来日した時のブラームス、第1番はライヴ録音も残っていて、大変素晴らしい名演です。こちらも一聴の価値があります。
>畑山千恵子様
DSKとのものも名演揃いですよね。
残念ながら、来日の1番は未聴です。
[…] 年2月13日のワーグナー急逝は、おそらく女性問題を巡る当日朝のコジマとのやりとり、諍いが遠因となっているのではないかという推測があることは先日も書いた。最晩年に彼が、無意 […]