人と自然の調和~ジュピター

mozart_jochum_jupiter_81.jpg6月1日は第16回「早わかりクラシック音楽講座」。リクエストにお応えしてモーツァルトの最後の交響曲「ジュピター」をとりあげる。そろそろ準備を始めねばと午前中からそのモードに入る。あくまで僕自身の観点及び感覚で講座を進めていく都合上、様々な文献と睨めっこしつつも最後は作曲家自身の気持ちになり、その当時の社会に生きている感覚を掴みながら、彼はどういう気持ちだったのだろう、なぜそういう行動をとったのだろうなどなど考えながら思案し、コンテンツを創り上げていく。講座の裏側を見せるようで気が引けるのだが、たとえ天才アマデウスといえども元は人間。今自分が生きているように生活をし、感じ、考えていたわけだからその人になりきることが一番早い。
モーツァルトは親の束縛、そして当時の社会的環境の束縛などを受け、自分自身の能力を最大限に発揮できずに(語弊のある言い方か)青年期を過ごした。その根源となった故郷ザルツブルクを離れ、そして父親の死に伴い初めて「自由」を手にする。父の死が1787年で、いわゆる晩年の深遠な世界に行き着くのがまさにそれ以降のこと(モーツァルトの創造力と一般大衆の耳の乖離が同時に始まり、この天才は生活苦に陥っていくわけだが)

いわゆる三大交響曲が生まれたのが1788年。先日のリサイタルで愛知とし子が奏でたK.545のソナタも同じ年。名曲「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」もそうだ。そういう苦しい状況の中で創られた楽曲ほど恐ろしいまでの奥行きと高尚さをもつ。中でも最後の交響曲「ジュピター」のバランス、宇宙と人間との完璧なバランスと言い切っても過言ではない名曲は何度聴いても色褪せることがない普遍性を持つ。

モーツァルト:交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」
オイゲン・ヨッフム指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1981.9.20Live)

以前ヨッフムとアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団のスタジオ録音を取り上げた。僕はなぜかヨッフムの「ジュピター」が好きで、ずっとこの音盤を愛聴してきたが、5年ほど前にAltusから発売されたこのLiveを聴き、圧倒的にぶちのめされた。
1981年9月20日、ウィーンのムジークフェラインでの録音。その1ヶ月余り前、カール・ベームが亡くなったのだが、その死を追悼しての定期演奏会での収録。まずは「フリーメイソンのための葬送音楽K.477」が厳粛な趣の中で演奏され、「ジュピター」、そしてブラームスの第2交響曲というプログラムであった。

いかにもヨッフムの「ジュピター」。雄渾な第1楽章に始まり、哀しみを湛えた涙ものの第2楽章(この楽章は本当に名演です)、第3楽章を経て、最高のフィナーレに行き着く。最後の和音が鳴り響いたあとの聴衆の拍手喝采は本当に感動的だ。

ところで、三大交響曲はまさに三位一体だ。しいていうなら第39番変ホ長調は「陽」、第40番ト短調は「陰」、そして第41番「ジュピター」は「調和」の大団円。どれひとつとして欠けることは許されない。

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アレグロ・コン・ブリオ~第5章 » Blog Archive » ワルター&METの「ドン・ジョヴァンニ」(1942)を聴いて思ふ

[…] オイゲン・ヨッフム指揮する1981年9月20日のウィーン・フィルハーモニー定…は前月に死去したカール・ベームの追悼公演になったのだが、予定プログラム(モーツァルトの「ジュピター」交響曲とブラームスの第2交響曲)の前にモーツァルトの「フリーメイスンのための葬送音楽」が厳粛に演奏された。 最晩年のモーツァルトの、光と翳のスペクトルから調和の大団円に至る最後のシンフォニーとあわせて聴いて、この時のコンサートがどれほど感動的であったかということと、カール・ベームという指揮者がいかにウィーンの人々に愛されていたかがわかって興味深い。神々しいばかりの光を放ち、極めて静謐でありながら情感のこもった音楽が眼前に現れる。 それは、これらの音楽をほとんど毎日のように聴き込んでいた10代のあの頃に感じた質感と明らかに異なる。 […]

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