ヤノヴィッツ レッセル=マイダン クメント ベリー カラヤン指揮ベルリン・フィル ベートーヴェン 交響曲第9番ニ短調作品125「合唱」(1962.11録音)

大崎滋生さんの「史料で読み解くベートーヴェン」をじっくり読んでいる。
そろそろ佳境に入るが、「ミサ・ソレムニス」と「第九」にまつわるあたりの考察が面白くてたまらない。一般の学者がこれまで素通りしてきた事実を、徹底的な研究と推量を通して結論を導き出す大崎さんの努力に感動すら覚える。

歌詞の実際に立ち入ってみよう。「ベートーヴェンは独自の解釈と編纂を行った」として、この歌詞を“編詩”と規定したのは1975年の山根銀二である。卓見だと思う。「シラーの詞による」だが、ベートーヴェンはそのまま用いたのではなく、“第九”で表現しようとする自らの理念に沿う部分だけを選び、僅かだが単語を変え、そしてシラーの詩を引き出す前向上の詩を自ら書いた。
大崎滋生著「史料で読み解くベートーヴェン」(春秋社)P292

そもそもシラーの原詩とベートーヴェンの書いた歌詞が異なることは誰もが知るであろうところだが、大崎さんは昨今のベートーヴェン研究の結論に以下のような疑問を投げかけておられる。

”第九“についても昔から”お祭り騒ぎ“批判はある。しかし”第九“解釈の主流は「すべての人間が兄弟となる」という博愛の精神への賛美である。ところが新ベートーヴェン研究の現場ではどうやら、高尚な意味を見いだす傾向に批判が芽生えているようで、ベートーヴェン作品にもシラーの詩本来の”酒飲み歌“性を改めて喚起させようという見解である。論文といった形での議論ではないが、先頃の放送インタビューのなかでそのような”新しい“見方の披瀝があった。私は、次節で指摘するように、それには反対である。
~同上書P290-291

とし、持論を次のように述べる。

したがって、民衆に愛顧されていたシラー詩を借用して、自ら望む詩に編作した、と言うべきである。そしてベートーヴェン編詩のキーワードはやはり、「すべての人間が兄弟となる」である。ブリューダー(複数)とはこの意味であり(「同胞」などではなく)、ベートーヴェンはそれに徹した。
~同上書P292

その上で、中間に挿入されるトルコ行進曲の意義をひも解いてみせた。

オーケストラによる序奏が終わると、バリトン独唱が、続いて合唱が「すべての人間が兄弟となる」と歌うが、トルコ行進曲に先導されてテノール独唱が歌う歌詞に再び「兄弟」という言葉が出てくる。すなわち、「Laufet, Brüder, eure Bahn進め、兄弟たちよ、おまえたちの道を」と。したがってここではイスラムに対して呼びかけられていると解すべきで、しかも「おまえたちの道を進め」とダイバーシティを謳っている。つまり異教徒イスラム世界も包み込んだ平和を、と解くべきである。これがテノール独唱で歌われているのは、ベートーヴェン自身の声ではないか、とまで言わなくても、彼自身がこの部分に託した、この作品の核心表明であることは間違いない。
~同上書P293-294

「酒飲み歌」とは実にくだらない。あのトルコ行進曲にベートーヴェンが込めた思いが、まさに道劫並降の現代にまで通じることが驚きだ。これをもってベートーヴェンが「楽聖」と呼ばれる所以が真に理解できる。

カラヤンのベートーヴェン60年代全集(アナログ盤)から。

・ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調作品125「合唱」
グンドゥラ・ヤノヴィッツ(ソプラノ)
ヒルデ・レッセル=マイダン(コントラルト)
ヴァルデマール・クメント(テノール)
ヴァルター・ベリー(バリトン)
ウィーン合唱協会
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1962.11録音)

カラヤン2度目の全集は確かに素晴らしい出来だ。
渾身の第9番「合唱」こそ、(カラヤンの意識とは別に)ベートーヴェンが理想とした「すべての人間が兄弟となる」世界創造の狼煙となるレコードではないかとさえ思った。全曲を通じて推進力に富み、音の鮮明さや透明感はとても60年以上前の録音とは思えない力が漲る。それに、当時のベルリン・フィルのアインザッツの揃った機能美も見事としか言いようがない。

特に、終楽章「歓喜の歌」の、ベートーヴェンがこの楽章に命を懸けて訴えようとした「皆大歓喜」の精神が芯から湧き上がる様子に言葉がない。

”第九“は《ミサ・ソレムニス》完成直後、《ミサ・ソレムニス》と連動し、それをコンサートの聴衆向けにもっと解りやすくした作品として創作された、と私は考えている。
~同上書P294

《ミサ・ソレムニス》あっての《第九》であり、また《第九》あっての《ミサ・ソレムニス》。
そのことがわかれば、《ミサ・ソレムニス》に対する理解は一層深まるだろうと思う。

混沌から生成される宇宙の真象を表す第1楽章冒頭の静寂から弱音、そしてトゥッティに至る音の流れこそカラヤンのベートーヴェンの真価。第2楽章スケルツォも躍動感溢れ、小気味良いテンポで進む様子が堪らない。
逆に第3楽章アダージョは粘らず、滞らず、速めのテンポで紡がれ、かの終楽章「歓喜の歌」にバトンをつなぐのだ。
(クメントのトルコ行進曲は決然と、まさにベートーヴェンによる歌唱のようだ)

カラヤン指揮ベルリン・フィル ベートーヴェン 交響曲第4番変ロ長調作品60(1962.11録音) シュヴァルツコップ ルートヴィヒ ゲッダ ザッカリア カラヤン指揮フィルハーモニア管 ベートーヴェン ミサ・ソレムニス(1958.9録音)ほか プライス ルートヴィヒ オフマン タルヴェラ ベーム指揮ウィーン・フィル ベートーヴェン ミサ・ソレムニス(1974.10録音) カラヤン指揮ベルリン・フィルのベートーヴェン交響曲全集(1961-62録音)を聴いて思ふ カラヤン指揮ベルリン・フィルのベートーヴェン交響曲全集(1961-62録音)を聴いて思ふ

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む