毎日勉強になることがいっぱい

毎日勉強になることがいっぱい。
新しい場所で新しいテーマで習い事をすると、発見が極めて多い。たくさんある気づきの中でひとつ。人の観察力というのは意外に当てにならないということ。逆に言うと、人であろうと物であろうと、あるいは情景だろうと注意を払うことで、極々小さな変化を容易に捕えることができるようになる。ともかく細かいところに注意し、相手のちょっとした変化をすかさずキャッチすることが大事。

時間が少々あったので、新富町から池袋経由で東新宿に戻った。有楽町線から副都心線に乗り換える際、ちょっとばかり気になっている音盤を探してみようと、久しぶりにメトロポリタンプラザのHMVに寄ってみた。何と、いつの間にかビルそのものが「ルミネ」に名前が変わっている。それと、クラシック専門フロアだった6階のHMVが何と縮小され、しかも全ジャンルありのスペースに変貌していた・・・(涙)。当然クラシックのCDは殆ど見当たらないし、クラシック以外でもゆっくりと歩きながら音盤を探す雰囲気でもない。呆然。どうやら1月10日をもってクラシック・フロアは閉店したよう。しかもHMV自体がローソンの傘下に入ったようで、昨夏の渋谷店の閉店に始まり、何とも販売店の劣勢が手に取るようにわかり辛い。

世の中の状況が随分変わってCDソフトが売れなくなっているのは致し方ないが、長年の音盤ファンとしては実に寂しい限り。確かにショップ・サイトを利用して欲しい音盤を検索して購入するのはお店に足を運ぶ必要もなく便利だが、ぶらっとショップを歩きながら予想もしなかった音盤に出会い、ジャケ買い、衝動買いをし、持ち帰って聴いて良かったときの感動というものがないというのが何より物足りない。

またしても「海」を聴こう。雄大でくっきりと鮮明な海原を彷彿とさせる。これはもはや印象派ではない。そんな「海」の演奏。

ドビュッシー:
・牧神の午後への前奏曲
・交響詩「海」
・バレエ音楽「おもちゃ箱」(アンドレ・カプレ編)
・3つの前奏曲(コリン・マシューズ編)
サー・サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

ドビュッシーはよくわからないと言いながら、「牧神」や「海」の音盤を何といくつも持っていたことか・・・(苦笑)。しかし、正直じっくり聴いたのはまったく初めて。ラトルはやっぱり感覚の人ではなく頭の人なのだろう。この「海」は北斎の絵でもなければフランス印象派の絵画でもない。まるで「写真」である。それも濃淡がはっきりし、遠近感までもが見事に撮影された高画素のデジタル写真。繰り返し聴くたびに指揮者の表現意図がよくわかって興味深い。


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