ムソルグスキーは原典で聴かなきゃ・・・

22日で、夏至の日で、しかも今年の夏一番の暑さの日は滞りなく過ぎてゆく。
あまりに太陽の日が眩しく気持ち良いので、午前中布団を干した上で外出した。
それにしても昨日はおかしな一日だった。直接関係はないが朝から電車の事故が多かった。夜も大江戸線が人身事故で止まり、ちょうど乗る予定だったところ、妙なことにすっかりそのアポイントを忘れてしまい、結局延期にしていただいた矢先の出来事。向かっていればしばらく帰って来れなかったからラッキー。しかも胃の調子もおかしかったし・・・。ただし、一夜明けて見違えるほど調子は良くなったのだけれど(何だか綱渡り的だが、正しい方向に導かれているようで清々しい)。

夏至と言えば「真夏の夜の夢」か、それとも「幻想交響曲」か、と考えたが、ここのところ独墺系の音楽ばかり聴いていたので少し別の方向で。そう、ムソルグスキーの交響詩「禿山の一夜」、それも合唱付のいわゆる「禿山の聖ヨハネ祭の一夜」なる原典版。作曲者自身がスコアの末尾に「1866年に着想。管弦楽スコアは67年6月12日に開始、67年6月23日、聖ヨハネ祭の夕べに完結」と記しているこの音楽は一般的に知られているリムスキー=コルサコフ編曲版の何とも洗練された響きと異なり、ムソルグスキーのむき出しの魂が直截に心に響く。(ちなみに、バラキレフがこの曲を演奏曲目に加えるために改作を求めたとき、作品に絶大な自信を持っていたムソルグスキーは断固として修正を拒否したらしい。当時の一流作曲家でも作曲家の天才を見抜けなかったところが何とも面白い)。

ムソルグスキー:
・交響詩「禿山の聖ヨハネ祭の一夜」
アナトリー・コチェルガ(バス・バリトン)
ベルリン放送合唱団、シュドティローラー児童合唱団
・歌劇「ホヴァンシチナ」より
-前奏曲
-シャクロヴィートゥイのアリア
-ゴリツィン公の流刑
アナトリー・コチェルガ(バス・バリトン)
-マルファの予言の歌
マリアンナ・タラソーヴァ(メゾ・ソプラノ)
-ペルシャの女奴隷たちの踊り
・スケルツォ変ロ長調
・古典様式による交響的間奏曲ロ短調
・凱旋行進曲(歌劇「ムラダ」より)
クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

生前、まったく顧みられなかったムソルグスキーだが、音楽の専門家でない僕にとってもその響きやニュアンスは前衛的(土俗的?)で、時代の随分先を行っていたことが(これらの作品を聴いて)一層理解できる。

先の「禿山」改作に関しての1867年9月23日付バラキレフ宛の手紙・・・
「私を襲っている憂鬱は、田舎の秋でも経済的な問題でもなく、別の理由からです。それは作曲者としての憂鬱です。私の魔女に関してあなたは条件付でお返事をくださいました。認めるのも恥ずかしいのですが、この憂鬱はそのことに対する作曲者の落胆です。私はこの作品をまともだと思っていますし、そう思うことを止めません。この作品で、私はいくつかの独立した小品の後、初めて大きな作品で独立した姿を現していると思っています」~「ロシア音楽の魅力-グリンカ・ムソルグスキー・チャイコフスキー」(森田稔著)

これを機にムソルグスキーは師ミリイ・バラキレフから自立することになるのだが、それにしても現代までリムスキー版が一般に流布してしまっている事実からも、ムソルグスキーのアンラッキーぶりは甚だしい。そういう意味ではアバドが随分以前から原典を主に演奏している点は流石。

この何とも荒削りながら、幼子のような純真さを伴った音楽、触れればすぐに壊れてしまいそうな音楽というのは「ながら」ではなく、じっくりとその中に身を浸して聴くべし。ムソルグスキーは原典で聴かなきゃ真髄はわからない・・・(ついでに言うなら実演に触れることがが不可欠かも)。それにしても、今日は・・・暑い。


2 COMMENTS

雅之

こんばんは。
お暑うございます。
今夜は珍しく、「前振り」のほうに喰い付いてみましょう(笑)。

>それにしても昨日はおかしな一日だった。直接関係はないが朝から電車の事故が多かった。夜も大江戸線が人身事故で止まり、ちょうど乗る予定だったところ、妙なことにすっかりそのアポイントを忘れてしまい、結局延期にしていただいた矢先の出来事。

昔、子育て真っ最中に「すげえ!!」と驚いた歌をご紹介。その衝撃、今でも忘れられません。

きかんしゃトーマス:じこはおこるさ
http://www.youtube.com/watch?v=8HV23ThBo04&feature=related

英語でもどうぞ。
Accidents Will Happen
http://www.youtube.com/watch?v=kOC0uzV2HAE&NR=1

日本語と英語での、この、冗談が通じるか通じないかのニュアンスの差は何なんでしょうね? 文化の違い?

今日はまだ忙しいのでこのへんで。

ご紹介の盤、私も素晴らしいと思います。アバドは研究熱心な指揮者ですよね。

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岡本 浩和

>雅之様
こんばんは。
言葉のニュアンスの違いというのは、文化や土地柄や、民族性やいろんなものが絡んできますからねぇ。アメリカでもそうだと思いますが、この手のものは放映する(表に出す?)タイミングによってはえらいことになってしまいますよね。

それにしても面白いものをご存知ですね。
さすがに経験豊富です、雅之さんは。

>アバドは研究熱心な指揮者ですよね。

同感です。ラトルもまた別の意味でそうですが、アバド時代のベルリン・フィルを聴く楽しみはこういうところにあったように思います。

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