音霊

音楽療法の父といわれるカンザス大学のT.ガストン教授は、「音楽がこんなに楽々と人の心に通うことを可能とさせていることが、言葉でもできるなら、音楽はなかったし、また音楽を生むニードもなかったであろう」と音楽のエッセンスについて述べている。
「モーツァルトで癒す~音と音楽による驚くべき療法のすべて」(ドン・キャンベル著)

確かに言葉には壁があるが、音楽には壁はない。僕が随分前から考え感じていたこと、そして力説していたことと同じである。特に、モーツァルトの音楽には秘密があるようである。

「早わかり古典音楽講座」にもよく参加してくれる友人が「自然の美」をテーマにしたホームページを開設した。題して「宙(Sola)」(http://solatoy.jp /)。このサイトを見て純粋に感じたのだが、とてもいい。何だかヒーリング的なリラックス感を感じさせてくれる。それに「宙(Sola)」というタイトルが良い。「自然の美」をテーマにしているところもなお良い。音楽も「自然の美」と一致したときに普遍性を発揮する。いや、というより自然と一体化して湧き出ずる音楽は普遍的なのである。例えばバッハの音楽。そしてモーツァルトの音楽。

先日の講座でベートーヴェンの第9交響曲を取り上げたことは前にも書いた。「第9」に限らずその時に感じたのは、彼が耳疾で耳が聴こえなくなってから以降に書いた不滅の楽曲群は「自然」とつながり、「自然の美」を体現しているということ。だから、「何か人間の目に見える事象を超えたところにつながる」永遠の音霊的なものを持っているのではないか。例えばソナタ第 32番。あるいは弦楽四重奏曲第15番。

同じように、第2楽章のメロディが夙に有名な「アランフェス協奏曲」を書いたロドリーゴは幼い頃失明している。でも、その音楽の持つ普遍的なエネルギーと癒しはこれまた比類がない。まさに「自然」とつながっているのだ。あまりに有名な旋律ゆえクラシック愛好家からは軽視されがちな楽曲ではあるが。

結局、人間の鈍った五感が自然を破壊してしまっているんだろう。やっぱり「無」になって「自然」と対峙することが日々の生活の中でとても重要なのである。瞑想。

ヴィヴァルディ:協奏曲集作品4「ラ・ストラヴァガンツァ」
イタリア合奏団

バロック期の音楽はどれも必然だ。中でも、ヴィヴァルディの音楽はどれも同じように聴こえるのだが、いずれも耳に心地よい。自然の音と共通する「波動」を持っている。彼が生涯に500曲以上の協奏曲を書いたことは驚異的。この作品4も有名な「四季」同様、12曲セットになったヴァイオリン協奏曲集である。
ちなみにタイトルの「ラ・ストラヴァガンツァ」はイタリア語で「風変わりなこと」を意味する。

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