モーツァルトの光と翳

モーツァルトの音楽にこれほど揺さぶられたことがかつてあっただろうか。
大丈夫でいるつもりでも実際は不安定極まりないときもあれば、逆に危なっかしくて見ていられないように見えて、本当は地に足がついてしっかりとしているときもある。
晩年の困窮の最中にいるヴォルフガングの本当の状態、気持ちというのは当人にしかわかり得ないが、残された書簡や伝記類などを読むにつけ、どんなに装っても人間の心持ち、状態というのはすぐさま他人に見透かされてしまうようなものなんだろうと考えた。
モーツァルトの音楽には「光と翳」が混在する。愉悦感にあふれた明るさの中に、底知れぬ哀しみが溢れ、時に涙を誘う。一筋の涙が頬を伝ったかと思えば、もう次の瞬間には嬉々とした笑みに包まれた天使のようなエネルギーが満ち溢れる。そのあたりがこの稀代の天才を楽しむコツなのだろうが、やっぱりある程度の年を重ねないことにはその機微は何とも理解し難い。

ツィンマーマン兄妹がツァハリスらと20年以上前に録音した四重奏曲の音盤は、いまや安っぽい装いで廉価盤としてCDショップに鎮座するが、演奏の良し悪しもさることながら、選曲の妙が何とも堪らない。まさにモーツァルトの「光と翳」がじっくりと味わえるそんな音盤なのである。

モーツァルト:
・ピアノ四重奏曲第1番ト短調K.478
・ピアノ四重奏曲第2番変ホ長調K.493
クリスティアン・ツァハリス(ピアノ)
フランク・ペーター・ツィンマーマン(ヴァイオリン)
タベア・ツィンマーマン(ヴィオラ)
ティルマン・ウィック(チェロ)

いずれもウィーン時代絶頂期1785年~86年の作曲。おそらく楽想が湯水の如く溢れ出たのだろう、暗く厳しい主題で始まる第1番と開放的で明るい第2番とのコントラストが見事に喜怒哀楽すべての感情を表出する。許せない感情と許そうとする感情。それでも愛そうとする想いと憎悪感。相反する感情が浮き沈みし、自分軸まで吹っ飛んでしまいそう(苦笑)。
しかしながら、安心したまえ。いずれの楽曲もフィナーレの楽観性と高揚感を耳にすると(その内側には底なしの寂謬感にも実は出会えるのだけど)、「結局それで良かったんだ」と思わせてくれる。「モーツァルトの光と翳」、人類の至宝なり・・・。


コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む