ドラティ指揮デトロイト響のシマノフスキ交響曲第2番&第3番ほかを聴いて思ふ

szymanowski_2_3_dorati_detoit257イーゴル・ストラヴィンスキーに優るとも劣らぬカロル・シマノフスキの変幻自在。
それぞれの時代において、この人の音楽は階段を上がるように変化し、最後はやはり民族音楽的なるものを吸収、独自の世界に至る。交響曲第2番はリヒャルト・シュトラウス、それも「ドン・ファン」的音楽が木魂する後期ロマン派風濃厚な作品だ。そして、一皮むけ、6年後に生み出された交響曲第3番の、いかにもドビュッシーを髣髴とさせる暗く妖艶な音楽。ここにはベートーヴェンが最後の交響曲で挑戦した声楽が、テノール独唱と混声合唱という形で挿入されながら、不安定で不気味な音調を醸しながら僕たちの心を揺さぶり続けるのである。
シマノフスキの交響曲は、ワーグナーより出でて、ドビュッシーを通過し、そしてシマノフスキ自身の音楽へと昇華される。

クロード・ドビュッシーにまつわるリヒャルト・ワーグナーとルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの話。

エベール氏は、熱烈に音楽を愛していた。しかしヴァーグナーの音楽をでは全然なかった。礼儀のもっとも単純な原則を忘れるまでにヴァーグナー派だった当時の私は、いつかこの熱情家の老人とほとんど同じ考えをもつようになるだろうとは、思ってもみなかった。彼は、感情というものが何を含みどのように役立てられるかを私たちが知らぬも同然だったときに、千里の先を見透しながら、さまざまな感情の旅をめぐり歩いていたのである。
平島正郎訳「ドビュッシー音楽論集―反好事家八分音符氏」(岩波文庫)P36-37

歴史画家エルネスト・エベールが当時全ヨーロッパ中を席巻していたワーグナーを敬遠していた事実がすごい。ドビュッシーの驚嘆が手にとるようにわかる。そして、もはや交響曲という形式は古いと断言するドビュッシーの感覚を上手になぞるかのようにシマノフスキは3番目の交響曲に挑戦する。

ベートーヴェン以後交響曲が無用になったことは立証ずみであるように、私にはおもわれる。実際、シューマンの場合もメンデルスゾーンにあっても、交響曲は、すでに力がおとろえた同一の形式のうやうやしいくりかえしでしか、もう、ないではないか。だが「第9」は天才のしるしであったし、壁画の調和のとれた大きな寸法を与えることによって月並みな形式を偉大にし解放しようという堂々たる欲望の、対象であった。
とすればベートーヴェンの真の教訓は、ふるい形式を保持することではなかった。まして、先人の足あとをそっくり同じに踏まねばならない、ということではなかった。あけはなたれた窓々から、自由な空を仰がねばならぬのであった。その窓はほとんど永久に閉ざされてしまったかのごとく、私には見える。
~同上書P47

ドビュッシーのこの言葉にまるで真っ向から挑戦するかのように交響曲を創作するシマノフスキ。それもいまだドビュッシー生存時に、ドビュッシーのイディオムを採り込みながらである。その上、第3交響曲第3楽章ラルゴには「トリスタン」の木魂すら聴こえるのだ。

シマノフスキ:
・交響曲第2番変ロ長調作品19(1910)
・交響曲第3番作品27「夜の歌」(1914-16)
リシャルト・カルチコフスキ(テノール)
ケネス・ジュウェル・コーラル
アンタル・ドラティ指揮デトロイト交響楽団(1980.6録音)
・ヴァイオリン協奏曲第2番作品61(カデンツァ:パヴェウ・コハィンスキ)(1932-33)
シャンタル・ジュイエ(ヴァイオリン)
シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団(1992.5録音)

それにしてもジュイエ独奏によるヴァイオリン協奏曲第2番の、ワーグナーともドビュッシーとも違ったニュアンスのエロスにシマノフスキの天才を思う。特に、第1部最後に位置する、初演から3ヶ月後に亡くなるコハィンスキによる3分近くに及ぶカデンツァの超絶技巧と音楽の静謐さ峻厳さに感無量。
さらには、第2部のポーランド的舞踊に希望と愉悦を見出し、シマノフスキの保守(祖国愛)と革新の見事なバランスに舌を巻く。
とはいえ、巧いのはそれを見事に再現したシャルル・デュトワであり、シャンタル・ジュイエであろうか。

 

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