力を競い合わず、無理のない自然な・・・

一寸先は闇というが、仮に闇でなく光であったとしても明日のことは誰にもわからない。昔から目標を設定することに対して常に妙な抵抗感を覚えていたものだが、なるほど過去を振り返ってみると納得できる。自分が何を決めたところで、世の中に変化が起こればその計画はそもそも水の泡。決して厭世的な意味でなく、「今」を一生懸命に、そして楽しんで生きた方が賢明だと阿部敏郎さんのブログを読んで思った。
とはいえ、刹那的に生きることを薦めているわけではない。今日も打ち合わせをしていて、いろんなアイデアを共有してゆくと明るい未来しか見えてこないし、自分がやりたいと思うことをともかくベストを尽くしてやっていくことで必ず開けてゆくものだろうという確信を持ったし・・・。

どういうわけか少しばかり身体を鍛えたくなった。同時に、日本の「道」というものを究めたくなり、いつもお世話になっている合気道の師範であるK氏に聞いてみたら、合気道仙元館の朝稽古の見学に来るといいですよというお言葉をいただき、早速月曜日の早朝に伺うことにした。

「合気道は、今を去ること800年以上の昔に生まれた古武術に源を持つ武道で、力を競い合わず、無理のない自然な動きで相手を制する和の武道です」という文言にとにかく感銘を受けた。「力を競い合わず、無理のない自然な」というところがミソ。さて、僕に可能かどうか、そのあたりは行ってみてのお楽しみ・・・。

上の言葉を読んで必然的に思い出したのが朝比奈隆のブルックナー。愚直で自然体で・・・、朝比奈先生が渾身の力を込めて演奏したブルックナーはそれぞれが違った側面を持ち、どれもが納得のゆく名演奏だった。例えば、1992年9月にサントリーホールで新日本フィル相手にやった第7交響曲。僕は客席で震えた。その時の光景と気持ちはいまだに忘れない。
そのことを追体験しようと久しぶりにFONTECからリリースされた交響曲集を取り出した(昨年だったか、実相寺監督による映像も正規リリースされたが、まだ手に入れていない。以前クラシカジャパンで録画したものがあるからまぁいいかという思いと、どうせならBlu-rayでしょという思いが錯綜して迷っているせいもある)。

ブルックナー:交響曲第7番ホ長調(ハース版)
朝比奈隆指揮新日本フィルハーモニー交響楽団(1992.9.8Live)

かれこれ20年になるんだと思うと驚きである。あの厳粛な雰囲気で、かの荘厳なブルックナーが鳴り響くさまを本当に昨日のことのように思い出せるから。ブルックナーは存命中世間からは長い間認められなかった。せっかくの大作を創造しても肝腎の楽団や指揮者からは拒否される始末。そのたびごとに意気消沈し、自信を喪失する彼だが、そこは変人ということもあろう、とにかく軸をぶらさなかったところが天才。どんなに否定されようと自分のスタイルを貫き、交響曲を創っていった。
そして、シンフォニストとして一躍脚光を浴びたのがこの第7交響曲(この時すでに作曲家は60歳になっていた!)。ハンス・リヒターが指揮し、アルトゥール・ニキシュも絶賛し、専門家だけでなく一般大衆からもこぞって受け入れられたこの音楽は前半2楽章に比してフィナーレの軽さが気になるが、とにかくうっとりの美しさ。田舎者ブルックナーの野人性が影を潜め、宇宙的規模で鳴り響く自然賛歌。

この作品を振らせたら朝比奈の右に出るものなし。いつのどの録音を聴いてもそう思う。
何度か聴いた実演を思い出しても涙が出るほど・・・。

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