ジャズの巨人たち

その道のプロの話にはどんなジャンルのものでもいつも相当な好奇心を掻き立てられる。並大抵でない時間と労力を費やし、しかもそれが決して「努力」なんていうものでなく、「好き」で「邁進」した結果そのことなら何でも語れてしまうというのはとてもかっこいい(趣味でも仕事でも、そういうスタンスでプロフェッショナルになれるような生き方をしたいものである)。おそらくそういう人たちを「先生」というのだろうが、そういう人に限ってとても謙虚で対等に接することを求める人が多い。決して人に教えるために学んでいるのではなく、自身の知的好奇心を満たすためだけにやってきたことだから当然と言えば当然。しかし、ある一定のレベルに到達したものなら、その知識を外に向けて発信することで一人でも多くの方に喜んでいただこうとする姿勢がやっぱり大事なように僕は思う。

聴衆を意識した音楽作品のもつエネルギーというのは半端でない。特に、20世紀に入ってからメディアの発達と比例するように一大産業に伸していったポピュラー音楽の世界では(ポピュラーに限らないかな?)、あくまで作曲者個人が信仰告白的極私的に書かざるを得なかった作品もあろうが、多くはオーディエンスを意識したもので、その中で極上の一級品として認知されたものだけが末代まで語り継がれるものなんだろうと勝手に考えていた。しかしながら、実際にはそうそう一筋縄ではいかない。時代の感性を超越するものというのも存在するわけだから、それこそ何十年も年月を経てからでないと理解されないという作品も実にたくさんある。

それは18世紀のモーツァルトの場合でも同じ(本日のすみだ学習ガーデンでの講座のテーマはモーツァルトだった)。晩年に至るまで貴族のために音楽を製造し、あるいはお金を稼ぐためにヨーロッパ中を父親に連れ回された旅烏人生。聴衆に気に入ってもらえなければ日銭も稼げない。そういう時代にモーツァルトは飛ぶ鳥を落とすような勢いの人気絶頂期を経験した。毎月のように新作発表会を開催し、がっぽり稼ぎまくり浪費する。一方、父の死をきっかけに意識が内に向き、大衆がとても受け入れるこいとができないような精神性の高い作品に昇華されるとともに、彼は貧困と精神的肉体的ストレスに喘ぐようになる、そんなどん底の時期もあった。最晩年のすべてを超えるような作品の絶美!

ただ売れるものを創れば良いというものではない。時代にも大衆にも迎合せず、たとえ生活に困ろうとも自身のイマジネーションとクリエイティヴィティに忠実に生きることを是とする芸術家も多い。そう、帝王マイルス・デイヴィスの場合も然り。彼にあるのは常に「今」だけ。そして、どの瞬間も一期一会であり、過去は振り返らない(それはグレコとのひとときの恋にすら溺れず、決して尾を引かなかった点をみてもわかる)。わからないならついてこなくて良い、そんなようなメッセージが常に感じられるマイルス作品はまさに時代の感性を超越するものなのだろう(ゆえに、マイルスの音楽を追うことは底なしに興味深い)。

菊地成孔+大谷能生の「マイルス・デューイ・デイヴィスⅢ世研究」のお陰(驚異的な面白さ!)でもっとジャズを知りたいとますます思うようになった。まったく迷惑な本である(笑)。

Art Blakey And The Jazz Messengers:Moanin’(1958.10.30録音)

Personnel
Lee Morgan(trumpet)
Benny Golson(tenor sax)
Bobby Timmons(piano)
Jymie Merritt(bass)
Art Blakey(drums)

定番”Moanin’”については何も言うまい。エキサイティング”The Drum Thunder Suite”のスピード感!”Blues March”のファンキーなリズム、どこをどうとっても斬新で、エネルギッシュで美しい。

ジャズの巨人たちは果たして皆未来のために音楽を書いていたのだろうか・・・。


6 COMMENTS

雅之

こんばんは。

菊地成孔+大谷能生の「マイルス・デューイ・デイヴィスⅢ世研究」、前にも申しました通り、私の所有していますのは菊地成孔氏のサイン入ですからね、ちょっと自慢できるお宝です。いずれにせよ、おっしゃるように驚異的な面白さ!ですよね。

ご紹介の音盤もあまりにも有名なので、私も所有しており、たまに夜聴いて楽しんでおります。

こういう名盤の数々に触れてつくづく痛感することは、特に1950年代〜70年代は、ジャズにとって「坂の上の雲」の時代だったんだなあということ。石坂浩二さんが、日本のテレビの草創期もみんな必死のかたまりで活気があり、「坂の上の雲」の時代みたいだったと語っているのをどこかで読みましたが、今を生きる我々に真に必要なのは、なぜその熱気が、現在のジャズ界からもテレビ界からも希薄になったのかについての多角的かつ精緻な分析です。それぞれの鉱脈は先人に採掘し尽くされたのかもしれません。それだったら夕張炭鉱などの斜陽産業と状況は同じなので、それらの業界人は、今までの延長線上とまったく別なことにチャレンジしなければ、繁栄の未来など決して待っていないことになります。別な分野へのチャレンジこそが、ジャズやテレビ界の先人たちと同種のハングリーな開拓精神なのでは?

ジャズ以外のどのジャンルの音楽でも、もうこれからは、誰も聴いたことのない新鮮な音楽作品の傑作など、生まれる可能性は少ないのかも・・・。音楽の明るい未来を具体的に説得力を持って語れる業界人(プロ)が、この世にどれだけいるんでしょうね、占い師のように抽象的ではなく、あくまでも具体的に語れる人が・・・。

>「先生」というのだろうが、そういう人に限ってとても謙虚で対等に接することを求める人が多い。

一方で、「先生」と呼ばれたい人ほど虚栄心が強く偉そうに威張って鼻持ちならない人はいないと身にしみて感じている、先生ではない良識のある人たちも、世間には多いものです。

返信する
岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
物があり余ったこういう時代には新しい何かが生まれるチャンスって少ないのかもですね。
フリーターや失業者がとても多い時代ですが、日本に住んでいる限り「必死のかたまり」にならなくても何とか生きていけますから。

>音楽の明るい未来を具体的に説得力を持って語れる業界人(プロ)が、この世にどれだけいるんでしょうね、占い師のように抽象的ではなく、あくまでも具体的に語れる人が・・・。

そうですね、残念ながら僕も今は具体的にわかりません。

>「先生」と呼ばれたい人ほど虚栄心が強く偉そうに威張って鼻持ちならない人はいないと身にしみて感じている、先生ではない良識のある人たちも、世間には多いもの

おっしゃる通りだと思います。良識にある方に入っていたいものです。

ところで、菊地さんのサイン入りということは、サイン会かなんかで書いてもらったのですか?
僕はご本人にはお会いしたことなく、その音楽もきちんと聴いたことがないので(昔どこかでライブ映像が流れていたのをかじったことはありますが、そのときはout of my mindでした)少し勉強してみようかと思っています。

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雅之

>菊地さんのサイン入りということは、サイン会かなんかで書いてもらったのですか?

いや、別にサイン会で買った本ではないです。東京に住んでいた時、丸の内のオアゾショップに置いてありました。菊地成孔氏の下には共著、大谷能生氏のサインも入っています。2008年3月31日の初版本です。
私も菊地成孔氏にも大谷能生氏にも、まだお会いしたことはありません。

Duet 10 陽水with菊池成孔 ♪ジェラシー
http://www.youtube.com/watch?v=p4kqRzOEaO4&feature=related

「菊地成孔さん、じつにいい仕事してますねぇ!」 中島誠之助

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雅之

押尾コータローとの「リバーサイド・ホテル」や「東へ西へ」も最高ですね!
押尾コータローが、お父さんの言葉に反発して上達したエピソードも好きです。

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