John Coltrane “Olé Coltrane” (1961.5.25録音)を聴いて思ふ

ole_coltrane693いわば陰陽の統合を目指したジョン・コルトレーンの特に晩年の作品は、実際のところは力が入り過ぎて中庸どころか偏狭の傾向を増していったように僕は思う。その証拠に、古くからのファンは離れたのではなかったか?
音楽というものは創造者が精神性を追求するのは当然であるにしても聴き手に理解できない代物を生み出したのではお話にならない。それが時代の一歩も二歩も先を行くというのならその通りなのだが、それはあくまで偏りがないときに限ってのこと。
最初で最後の来日の際のインタビューで、音楽によって何を最も伝えたいかという質問に対し、コルトレーンは次のように答えている。

「愛(Love)」と「努力(Strive)」両方です。愛が中心になります。愛は宇宙を支えているので、この言葉が最も適当だと思います。

こういう風に明言されてしまうといかにもくさい。彼が最後に笑いながら「聖者になりたい」と発言したことは有名な事実だが、その真意がどうであれ、たとえ冗談交じりであれ、どうにも思想の行き過ぎを感じざるを得ない。
人間っぽく、かつ高度な精神性を秘めていた1960年代最初の頃が彼の全盛期だったのではないだろうか。

メンバーのつながりが驚異的。
強力なリーダーシップと美しいハーモニー。地から湧き立つ如くの熱狂。
スペイン情緒溢れる、否、情熱が躍動するジョン・コルトレーンの魔法、あるいは・・・。
かの黄金カルテット発足直前の、鬼才エリック・ドルフィーとの壮絶なバトル、乃至はコラボレーション。
“Olé”のエキゾチックな音響に金縛り。コルトレーンのソプラノに魂宿る。これこそ祈り、すなわち「意乗り」である。マッコイ・タイナーの弾けるピアノの上に、フレディ・ハバードのミュートを利かせたトランペットの男性的なうねり、対してコルトレーンの柔和なソプラノ・サックス。
そして、中間あたりにあらわれるレジー・ワークマンとアート・ディヴィスによる弓を使用しての奏法の掛け合いの見事さ。続くコルトレーンのソプラノの咆哮に音楽が高鳴り、昇天するかのよう。

John Coltrane:Olé Coltrane (1961.5.25録音)

Personnel
John Coltrane (soprano sax, tenor sax)
Freddie Hubbard (trumpet)
Eric Dolphy (flute, alto sax)
McCoy Tyner (piano)
Reggie Workman (bass)
Art Davis (bass)
Elvin Jones (drums)

クールな”Dahomey Dance”。
“Aisha”のメローなテナーが哀しく、またフレディ・ハバードのトランペットが泣く。
そして、ボーナス・トラックとなる”To Her Ladyship”における冒頭のドルフィーのフルートに癒され、コルトレーンのソプラノ、ハバードのトランペットに引き継がれる音楽の妙。ここでのコルトレーンのエネルギーの高さが際立つ。

1964年6月20日、奇しくも36歳の誕生日のその日にエリック・ドルフィーはベルリンにて客死。あっという間に表舞台から去って行ったドルフィーがもし仮にもっと長生きしていたら、そして、コルトレーンとの関係が後々まで良好を保ったままだったとしたら、確実にジャズの歴史は変っていたことだろう。
最高のアルバムだ。

 

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4 COMMENTS

雅之

>実際のところは力が入り過ぎて中庸どころか偏狭の傾向を増していったように僕は思う。その証拠に、古くからのファンは離れたのではなかったか?

「中庸」がお好きのようですが、だったら芸術の多くは必要ないと私は思うんですよね(実際今の私は、大自然の美の細部にまで気付ければ、芸術はいらないと信じつつあります)。

芸術家の、常人には信じがたいスキャンダラスな過去のプライベートをほじくるのも、あまり趣味のよいことではありません。どうせ真相の多くは本人にしかわかりませんし、ブーメランのように自分に返ってくることも多々ありますし、痛いです・・・(笑)。

少なくとも、1960~70年代のジャズやロックは、「中庸」とはほど遠い、体制への反骨精神に満ち満ちていました。それを現在の視点で上から目線のフィルターをかけて語っても、ちょっと違うのではないでしょうか。

現代日本人は良くも悪くも人権意識が強くなって、すっかり度量が狭くなりました。差別用語はだめ、遅刻はだめ、一気飲みもだめ、大麻もだめ(?笑)・・・、今の若者はいい子になり過ぎ、おじさん達に言われなくても、既に立派に「中庸」で内向き志向です。

私も人生の守りに入る必要がある歳になり、若者に見習いたく「中庸」を目指しておりますので、だからこそ1960~70年代までの音盤を大量に処分しました。逆に最近水晶玉を購入しました。購入目的は単なる鉱物蒐集の一環ですが、いっそ試しにこれを用い、岡本様が好まれそうな「浄化」をしてみます!

(購入したものと近い商品)
http://www.ynemoto.com/shopdetail/000000002720/004/X/page2/price/

返信する
岡本 浩和

>雅之様

いいですねぇ、どんと来い!です。(笑)
めちゃくちゃ主観の、独断の記事に対して当たり障りのないものでなく、真っ向から反論をいただけるのはありがたい限りです。
はい、雅之さんのご意見は正しいと思います。でも、それも主観であり、何が正解かなんていうのはおそらく本人にもわからないでしょう。たぶんコルトレーンもそんなこと聞かれたってわかるか!と答えるかもしれません。(笑)

ただ、あえて反論異論があることを承知で書かせていただくと、コルトレーンの場合、ドルフィーとの共演の楽曲はいろいろな意味でバランスがとれているように感じるんですよね(雅之さんは「バランス」という言葉はお好きじゃないでしょうが、笑)。
ところが、コルトレーンがインパルスと契約する時に何やらごたごたがあったようで、ドルフィーは外され、そこからいわゆる黄金カルテットが生れ、続々と歴史的な名盤が生み出されていくことになります。そして、あの短い期間中にコルトレーンはある意味カルト的な方法に突き進んでいくことになる。
もちろんそれは時代の要請もあったことで、おっしゃるように「体制への反骨精神」を含むであろう傑作揃いです。それは間違いない。
ただ、もしもという仮説が許されるなら、ドルフィーと引き続きやっていたら、コルトレーンの音楽は確実に変わったものになっていたように僕は勝手な主観ですが思うのです(彼は64年に亡くなるのでそもそもいずれにせよあり得ない話なのですが)。
それにしてもドルフィーとの残した数枚のアルバムは素晴らしい。それらこそ、黄金カルテットのものと比較してもコルトレーンが確実に独断に陥らず、その意味では「中庸」を貫いた作品だとやっぱり僕は感じてしまいます。

要するに、コルトレーンの音楽はかの黄金カルテットが始まった時点から崩壊が始まったのではないでしょうか。穿った見方ですが。
ちなみに、芸術は自然の対極にあるものですが、限りなく自然の姿に近づけることができるのが最高の芸術だと僕は思います。

ぐだぐだ書き出して、何を言いたいのかよくわからなくなったので、一旦筆を置きます。失礼しました。(苦笑)

ところで、少々勘違いされているようなので書きますが、僕はいわゆる流行のスピリチュアル的なものについては興味がありません。

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雅之

ご多忙のところ、長文で返信コメントをいただき、ありがとうございます。

一点を除いて、再反論は差し控えます。

その一点とは、

>芸術は自然の対極にあるものですが、限りなく自然の姿に近づけることができるのが最高の芸術だと僕は思います。

というところで、芸術も、人間や機械と同じく自然の一部に過ぎないからです。そして、恐ろしい地震や津波があるように、自然は美の側面だけではありません。

返信する
岡本 浩和

>雅之様

バタバタとしている中、思いつきで書きなぐったので支離滅裂恐縮です。

>自然は美の側面だけではありません。

おっしゃるとおりです。しかしよく考えると、すべては「人間から見た」という限定付ですね。
芸術も所詮は人間の勝手な造りものだということですね。

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