愛の形

愛の形はいろいろで、しかもそれぞれなんだな、と。
家族の中でほんの少しの問題を抱えながら、実は「愛」というものが通奏低音のように流れているんだということがわかって良かった。絆は何があっても切れないものだ。
明日、ワークショップZERO第2日目ということで妹と甥が上京、セッション一つを終えた後六本木で食事を共にした。おそらくこのシチュエーションは初めて(笑)。いろいろと話をし、聴いてわかったこと(いや、わかっていたが、あらためて確認したこと)。岡本家の人々は左脳を使い過ぎている、つまり考え過ぎているということ。考えることは大事だが、経験をスルーして物事を頭で捉えようとすることで「自然体であること」を逸している様子。
なるほど、今朝の合気道の稽古でも同様の気づきが得られた。脱力が基本の武道においてひとつひとつの型にも意味があり、しかもその型の各々が極めて理に適った状態かつ動きであることにまずは驚かされた。そして、いかに自分が日常で姿勢ひとつとってみても「不自然」であるかがまずは体感できた。要はバランスを崩しているわけだから慢性的に腰の調子が良くないのも頷ける。正しい姿勢で立ち、正しい姿勢で歩き、そしてリラックスすることが生きてゆく上で最も重要だということをここでも考えさせられた。

ところで、「M/D」。電化・磁化マイルスの講に入り、ますます面白い。そんな中、マイルスの伝記に疎かった僕が知識を得てより研究したくなったのがジミ・ヘンドリクスやスライ・ストーン、あるいはフランク・ザッパの周辺について。例えば、マイルスの2度目の妻であったベティ・デイヴィス(彼女がマイルスにジミを紹介した)とジミヘンの公然たる不倫関係を、マイルスが怒るどころか半ば許し、しかもジミから多大な影響を受け、よりによって二人のコラボ企画が持ち上がっていたという事実。もちろんそのアルバムは聴いてみたかったが、どちらかというとマイルス側がジミヘン側にぞっこんで、ひょっとすると対等に音楽が制作されなかったのかもと思うと、頓挫して良かったのだろうとも。
ということで、マイルス・デイヴィスもぶっ飛んだであろうジミ・ヘンドリクスのデビュー盤。

Jimi Hendrix:Are You Experienced

Personnel
Jimi Hendrix(guitar, vocal)
Mitch Mitchell(drums)
Noel Redding(bass guitar, vocal)

完璧!!
これほどまでに斬新で、十分昇華され、芸術的にも至高の域に達しているロック音楽はなかなかなかろう(それにしても表現があまりに陳腐。語彙力のなさに自分が情けなくなる。しかしながら、それくらいにジミヘンの音楽は言葉で伝え難い。繰り返しわかるまで聴き続けることしかない)。

“Foxy Lady”
I wanna take you home(君を家に連れ帰りたいんだ)
I won’t do you no harm, no(君を傷つけたりはしないさ)
You’ve got to be all mine, all mine(君の全て、君の全てが僕のものでなくちゃならない)
Ooh, foxy lady(ずるい女だよ)

歌詞の意味もろくにわからないままそのサウンドだけで虜になった初めてジミヘンに触れた曲。相変わらずのごたー・サウンドと色気たっぷりの声。

有名な”Purple Haze”も。
Purple haze all in my brain(脳みその中が紫色でもやもやしている)
Lately things just don’t seem the same(最近目の前で起こることがどうも昔と違うように見える)
Actin’ funny, but I don’t know why(おかしな行動をするが、どうしてなのか自分でもよくわからない)
Excuse me while I kiss the sky(失礼、空に向かってキスするので)

完全にいっちゃってます・・・(笑)とはいえ、これも愛の形のひとつ。


7 COMMENTS

雅之

おはようございます。

>家族の中でほんの少しの問題を抱えながら、実は「愛」というものが通奏低音のように流れているんだ

・・・・・・仁は、人がふたり居るときの完成した愛であるが、孔子は、その実現困難性について「仁人は身を殺して以て仁を成すことあり」といい、愛に生きるならば生命を捧げる覚悟が必要だとした。仁は対人関係において自由な決断により成立する徳である。孔子は仁の根源を血縁愛であるとした(「孝弟なるものはそれ仁の本をなすか」)。そしてこの自己犠牲としての愛と、血縁愛としての自己保存欲との間に、恭(道に対するうやうやしさ)、寛(他者に対する許しとしての寛大)、信(他者に誠実で偽りを言わぬ信)、敏(仕事に対する愛)、恵(哀れな人に対するほどこし)などが錯綜し、仁が形成されるとした。・・・・・・ウィキペディアより

>ジミヘンの公然たる不倫関係

一方で孔子は「吾れ未だ徳を好むこと色を好むが如くする者を見ざるなり」と述べた。・・・・・・ウィキペディアより

>脱力が基本の武道においてひとつひとつの型にも意味があり、しかもその型の各々が極めて理に適った状態かつ動きであること

多くのスポーツや楽器演奏にも通じますよね。

>完全にいっちゃってます・・・(笑)とはいえ、これも愛の形のひとつ。

芸術家や芸能人に「正義」や「道徳」を求めるのはナンセンスですよね。

自分は真っ直ぐな性格で正しい人生を歩んできて、悪いことなどしたことがなく、他人に理解があり優しくて、世の中に不満などまったくないと信じて疑わない、そういう明るいだけの人が最も極悪人なんでしょうね、親鸞が言ったように・・・。

『悪人』吉田 修一 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E6%82%AA%E4%BA%BA-%E4%B8%8A-%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%90%89%E7%94%B0-%E4%BF%AE%E4%B8%80/dp/4022645237/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1320535314&sr=1-1

『悪人』 [Blu-ray]
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映画のほうは、今晩地上波TVでもやりますので、録画されてでも後日ぜひ!! 原作本も含めおススメします。考えさせられますよ。

ジミヘンは「悪人」です、あなたや私と同じように(笑)。

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岡本 浩和

>雅之様
こんばんは。

>芸術家や芸能人に「正義」や「道徳」を求めるのはナンセンスですよね。

おっしゃるとおりですね。芸術こそ負の美学です。常識が通用するところに音楽も絵画も生まれ得ません。

>映画のほうは、今晩地上波TVでもやりますので、録画されてでも

残念!今朝はワークショップのため早く家を出てたった今帰宅しました。録画できず、です。
借りて観るようにします。いつも情報をありがとうございます。

>ジミヘンは「悪人」です、あなたや私と同じように

「悪人」じゃない人は存在しません・・・。

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雅之

こんばんは。
では『悪人』の代わりに、昨日NHKBSで初めて観ていっぺんに気に入った、7、8年前の松本人志による、「負の美学」を上手く用いたコントを・・・。この危険な翳が持つ香りなどは、笑いだけが勝負のコントでも、高度な芸術に昇華できる典型だと思いました(笑)。松本の至芸です。

松本人志 システムキッチン①
http://www.youtube.com/watch?v=YFOaImuq5so

同 ②
http://www.youtube.com/watch?v=G3jzTiHB348

またまた明日朝から仕事が超多忙になりますので、しばらくコメントいたしません。
おやすみなさい。

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岡本 浩和

>雅之様
最高ですね、このコント。
さすが松本人志です。
こういうものを日々探し出して観ておられる雅之さんの知識の豊富さにはやっぱり脱帽です。
ご紹介ありがとうございます。

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雅之

いやいや、下の本の影響がありました。

『ユングのサウンドトラック 菊地成孔の映画と映画音楽の本』より
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%A6%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%81%AE%E3%82%B5%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF-%E8%8F%8A%E5%9C%B0%E6%88%90%E5%AD%94%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB%E3%81%A8%E6%98%A0%E7%94%BB%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%81%AE%E6%9C%AC-%E8%8F%8A%E5%9C%B0%E6%88%90%E5%AD%94/dp/4781602886/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1320705397&sr=1-1

・・・・・・批評の拒絶に成功した、申し分のない傑作―――松本人志『大日本人』・・・・・・

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アレグロ・コン・ブリオ~第4章 » Blog Archive » カオスの内に垣間見えるハーモニー

[…] ところで、例の「マイルス研究」以来、マイルス・デイヴィスが影響を受けた周辺の音楽家(例えば、ジミヘン、プリンス、あるいはシュトックハウゼンなど)についてまずは勉強をしているのだが、いかんせん俄か学習ではなかなか「その音楽」について論じるのが困難。カールハインツ・シュトックハウゼンの「黄道十二宮~星座のための12のメロディ」なども一聴引き込まれる、前衛にしては聴きやすい音楽なのだが、作品に込められた作曲者の思想や思考までを読み解くとなるとなかなか・・・。あるいはリゲティのオペラ「グラン・マカーブル」についても、97年にザルツブルクを訪問した際、祝祭劇場に大々的に宣伝されていたことをよく覚えており、気にはなっているものの、これとて映像なしに音だけで対訳を片手に聴き通すのは少々骨が折れる(作品の概要を理解して少しずつ聴き込んではいるのだけど)。こんなことをやっているとマイルスの作品そのものをきちんと順番に聴いて物にするというのは一体いつになるのだろう・・・(笑)、人生まだまだ先は長いと思うが、少々性急な性質も持ち合わせているのでどうも落ち着かない(いやいや「養生訓」の教え通り、呼吸はゆっくりと焦らずだな・・・)。 […]

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