見た目の言動で、それもわずかな時間の共有だけで人は判断できない。
いや、判断そのものが人間の創り出した愚行であると言っても言い過ぎでないかもしれない。40半ばにして妹が真底感動したと言う姿を見ていて、あるいは20歳そこそこの甥が大きな気づきを得て前進している様子を見て感激した。人間の本質というのは人それぞれ変わるものではなく、やっぱりひとつでつながっているんだということを実感した1日。
不安に押し潰されそうになって自分を誤魔化したり、厚い鎧を被るようになるのが人間の性。そのことに少しずつ気づいて1枚1枚薄皮を剥ぐように殻を破ってゆけば「本当の自分自身」に出逢える。
そう、言動そのものはその人の本来の姿ではなく、頭で考え創り出した似非の自分なのである。どんなに情けなく弱い自分であっても、それ自体を認め受け容れるしかない。自分を変えようとしても結局は変わらず。もちろん他人を変えようとしてもそれは全く不可能。過去の様々な体験があっての今の自分。何も否定することはない。
ひょっとすると僕は自分が長年携わってきたことに本当の意味で自信を持っていなかったのかもしれない。常にどこか人任せかつ他人事で、自らが率先して「伝えよう」と行動を起こしていなかったかも。人が人らしく生きてゆく上で大切な方法はひとつ「対話」である。文字上ではおそらく誰もがそのことは理解できよう。しかしながら、実際の人間関係の上でいかに「対話」が希薄なことか。心を開いて相手に伝え、じっくり相手の話に耳を傾けること、そんな当たり前のことができていない、そしてそれがどういうことなのかわからないという人が多い。せめて「対話」の本質というものを理解していただくためのワークショップと銘打っても良い。ともかくひとりでも多くの方に体験していただくこと、それがすなわち本日の決意。
ふと思った。伝モーツァルトのヴァイオリン協奏曲でも聴いてみようかと。一聴それは明らかにモーツァルト的でないとわかる代物。でも、残念ながら(苦笑)大いなる名曲。
モーツァルト:
・ヴァイオリン協奏曲第7番ニ長調K.271a(271i)[偽作]
・ヴァイオリン協奏曲第6番変ホ長調K.268(K Anh. C14.04)[偽作]
ジャン=ジャック・カントロフ(ヴァイオリン)
レオポルト・ハーガー指揮オランダ室内管弦楽団
偽物でもそれが美しい音楽ならそれはそれで良い。しかしながら、実際にこれらの協奏曲がモーツァルトの作でないことが証明された時点で、ほとんどの愛好家がそっぽを向くようになったという事実も放ってはおけない。いかに人が音楽そのものではなく、名前で音楽を受容しているかである。裏返せばそれは、本質を観ず、看板だけで評価、判断を下しているようなもの。人は愚かなものである。
この際、作曲者のクレジットなどどうでもよい。カントロフの織りなす伝モーツァルトの音楽を心から堪能しようではないか。
久しぶりにこの音盤を聴きながらライナーノーツを見て気づいた。何と穴澤健明さんが技術を担当しておられる。2年半ほど前に異業種交流会で名刺を交換させていただき、それっきりになっていた。またお会いしていろいろな興味深い話を伺いたいものである。
この曲と音盤、前にもコメントしたことがあるので、今回感想はパスします。
とにかく愛聴盤です。
それで思い出しましたが、私も演奏経験があり、誰でも知っている「おもちゃの交響曲」
http://www.youtube.com/watch?v=qDnrL46wY44
も、近年の研究では、モーツァルト・パパ作曲でも、ハイドン脱曲でもないんですってね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%82%82%E3%81%A1%E3%82%83%E3%81%AE%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2
最近まで全く知りませんでしたので驚きました。長らくバッハ作と信じられていた「アンナ・マクダレーナ・バッハの音楽帳 第2巻 2. メヌエット」 の時もそうでしたが、常識はまず疑ってかかれ、ということですね。
>雅之様
こんばんは。
「おもちゃの交響曲」の件、僕も少し前に知ったのですが、驚きですよね。
バッハの件も含めて、音楽そのものが美しいならそれはそれで良しだとやっぱり思います。