随分後年、20代の後半になってからまともにTOTOを聴いた。それでも最初の内は完璧なテクニックとその洗練され過ぎた楽曲にあまり魅力を感じなかったというのが正直なところ。何だか「売れ線」を狙ったんだろうという意思が見え見えで、どうもそういうことに抵抗を感じた(もちろん今でも計算された行動、ものというのはどうも受け入れ難いのだけれど)。
先日のJourneyはSantanaを飛び出して結成されたバンドで数年の下積み時代があるし、TOTOもBoz Scaggsのバンドから離れ、様々なアーティストのセッション録音に参加しながら腕を磨き結果的に独立、人気の出たバンドであることを考えると、どんな人、団体にも師匠なる人があり、それこそ「守破離」というものを通過して「今」に至るということがひとつの定石で、歴史がバンド(人)を作っていくんだということが実感できて真に興味深い。音楽などというものは結局個人の好き嫌いによって左右されるもので、良いとか悪いというものさしで測れるものではないのだとも最近は痛感する(当時ほとんど理解できなかったTOTOというバンドを僕自身最近はとても面白いと感じることからもそれはいえる)。
一方で、80年代のロック音楽は聴きようによっては「古臭さ」をどうしても感じさせてしまう。テクノロジーの問題もそこには関係しているのだろうが、あるいは自分の当時の記憶が楽曲にリンクすることから自ずとそういう感情、思考が出てくるのかもしれない。
Personnel
Bobby Kimball(lead vocal)
Steve Lukather(vocals, lead guitar)
David Hungate(bass guitar)
David Paich(keyboard, vocals)
Steve Porcaro(keyboard, electronics)
Jeff Porcaro(drums)
1981年にリリースされたTOTOのサード・アルバムはその「顔」を模したジャケットで僕の記憶に刷り込まれている。
音楽は・・・、まるで懐かしくない(笑)。なぜならその当時はきちんとまともに聴いていないから。とはいえ、その後の相応の音盤遍歴を経て、今耳にするTOTOの音は4,5年遅れの風景を僕に思い起こさせる。結局は、音楽は、特にポピュラー音楽というのはそれが流行っていた時期もさることながら、よく聴いていた時期とどうしても連関するということだ。
ところで、音楽に限ったことではないが、例えば大学時代に接するもの、出逢った人がその後の人生に大いなる影響を与えることは言うまでもない。日々多くの大学生に接しながら感じることは、どんなに優秀に見える学生でもきちんと大人が教えるべきことは教えなければならないということ。礼儀作法然り、言葉遣い然り。それと、優秀な学生に限って他人に興味を持たないということが多いようにも思う。そう、人のことはどうでもいいと思っているわけではないのだろうが、どうにも「自分事」ばかりになってしまう傾向があるよう。互いが互いを支え合って生きているんだということを理屈抜きに教えるべきだな。
“Turn Back”
Run through the darkness he hears turn back(引き返せと言う声が響き渡る闇の中を走れ)
There’s no survivors, you can’t turn back(生き残るものはいない、だから引き返すことはできない)
Dreams keep him turning back the years.(何年もの歳月を引き返せるのは夢の中だけだ)
ちなみに、昨年の今日はアバド&ミラノ・スカラ座の「シモン・ボッカネグラ」を採り上げているが、コメント上では1981年のスカラ座来日公演の話題で少々盛り上がった。もちろん田舎暮らしの僕は「話題」として誌面上で知っているだけで、その舞台には触れていない。わずか30年前のことなのだが、古き良き時代と称するのは早過ぎるだろうか・・・。
こんばんは。
CD(コンパクト・ディスク)元年が1982年。ご紹介のTOTOも初出はLPだったんですよね。
この30年の、パソコンや携帯を始めとするエレクトロニクス製品の発展・変貌ぶりの凄さからすると、CDの技術は完全に時代遅れで、もうとっくに引退してないといけないはずなんですがね(笑)。
音楽文化に限っては、この30年、やはり進歩したとはいい難いんでしょうね。
だからって、私はあの頃に戻りたいとは、もはや全く思いませんが。
>雅之様
こんばんは。
そう、TOTOの初出はLPでした!
>CDの技術は完全に時代遅れで、もうとっくに引退してないといけないはずなんですがね
そういうことですよね。
僕も同じくあの頃には戻れないですね(笑)。