孤高の学者は何のために学ぶのか?

孤高の学者は何のために学ぶのか?
明るく振る舞えば振る舞うほど内面の悲しみや孤独が浮き彫りになる。本来人というのは明るくも暗くもない。どんなことでも度が過ぎると不自然になる。気がつかない人は多いが、ほんの少し直感の働く人間からするといっぺんに本質がわかる。誤魔化さなくていいのに、正直になればいいのに・・・。「お前は誰?」と常に自問自答しながら生きる。モーツァルトの本質というのはそういうところにあるのかも。彼の数少ない短調作品にはどれも振り切れた叫びやか弱い囁きが見え隠れする。長調の作品にこそモーツァルトの真実が隠されているという人は多い。確かにその中に垣間見える「悲痛な思い」こそが人間アマデウスの真骨頂であり、自然な形の心情吐露であることは間違いない。
でも、短調作品にだって立派な存在理由がある。モーツァルトが短調で書かなければならなかった理由って?落ち込んだり辛かったり、哀しかったり悔しかったり、感情の起伏が激しい人間は、普段他人に見せない本心を特別な人にだけ開放する。
だから・・・、本当にモーツァルトのことを・・・、思い、理解する人、身近な人だけがわかる暗号のようなものがこれらの作品の中に込められているのではないのか・・・。

若きエリック・ハイドシェックが1970年の来日時に録音したモーツァルトの短調作品集。
30代のエリックの技術は完璧、表現は縦横無尽。

モーツァルト:
・幻想曲ハ短調K.475
・ピアノ・ソナタ第14番ハ短調K.457
・ピアノ・ソナタ第8番イ短調K.310
エリック・ハイドシェック(ピアノ)

クリスマス・イヴ・イヴの深夜に囁きかけるアマデウス。
あくまで自由に飛翔する心を開いたアマデウス。
辛いときは辛いんだと涙を隠さないアマデウス。
自然体で誤魔化しのないアマデウス。

祭りの後の静けさのような、
哀しみが走る。
束の間の喜びが沸騰する。
50分ほどのアルバムに明滅する「真実」。
孤高の学者は何のために学ぶのか?

12 COMMENTS

雅之

おはようございます。

唐突ですが、私たちは短調の音楽を、何故悲しいと感じるのでしょうね。

これは人類共通の感情なんでしょうか。
短調を楽しい、明るいと感じる民族もいるのではないでしょうか。

類人猿はどう感じるのでしょうか。

縄文人、弥生人が聴いたら? バロック期の人々の感じ方は?

モーツァルトは、長調で短調以上の「哀しみ」が書ける人でした。

悲しみも暗さも苦痛も、楽しいと思ったら楽しい、ただそれだけです。

「心頭滅却すれば火もまた涼し」だ(違うか・・・笑)。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&dname=0na&dtype=0&stype=1&p=%E5%BF%83%E9%A0%AD%E6%BB%85%E5%8D%B4%E3%81%99%E3%82%8C%E3%81%B0%E7%81%AB%E3%82%82%E3%81%BE%E3%81%9F%E6%B6%BC%E3%81%97&index=09641400

私は、「孤独」を恐れる人の気持ちが理解できません。

孤独になれたり、暗くなれたりできるって、最高に贅沢な娯楽じゃないでしょうか。

「ネアカが大好きな一般大衆の諸君、君らは臆病者だし貧しいねぇ」

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
いよいよバルシャイ補筆完成版の実演ですね!!いやあ、これは何かありそうですね。
カップリングがモーツァルトのK.595となると余計に興味深いです。
お楽しみください。

>悲しみも暗さも苦痛も、楽しいと思ったら楽しい、ただそれだけです。
>孤独になれたり、暗くなれたりできるって、最高に贅沢な娯楽じゃないでしょうか。

同感です。

孤独を恐れる人っ友達と交わるときに本当に心を開けてない人だと思います。
ゆえに孤独を恐れる人はどんな瞬間も孤独なんではないでしょうか。

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雅之

その演奏会
http://mahler.nagoyaongakunotomo.or.jp/ja/part1/201112
ですが、私にとって今回のマーラー交響曲第10番バルシャイ補筆完成版の衝撃は、日比谷での井上によるショスタコ・チクルス以来の貴重な勉強にもなった体験となりました。まあ、こんな体験は、CDを千枚、1万枚聴いたって、絶対に得られないと思いました。

イヴにもかかわらずホールもほぼ満員で、このコンサートの注目度の高さがわかります。オケはアマチュアですが、一回の演奏会にかける意気込みと情熱と愛はプロを明らかに凌ぐことがよくわかる、奇跡のようで結果は必然の超名演でした。喘ぎ、叫び等、この曲が持つ、身の毛もよだつようなおぞましさ=見てはいけないものを観る芸術の醍醐味、凄まじさの表出は、ある意味、プロではためらう領域かもしれません。

とにかく、マーラーにこの曲があることで、マーラーからショスタコへの精神的直通乗り入れぶりが、よく実感できます。

当日パンフレットの、コンサートマスター:高橋広さん(この人のマラ10演奏歴は恐ろしく凄い!!おそらくプロを入れても日本一、いや世界一かもしれない)による解説後半部分より

・・・・・・第10交響曲版の復元史は大変ドラマティックであり、それだけでも一冊の本になりそうな程だが、今回は割愛する。オスフィルHPに2004年にクック版で演奏した際の解説文
http://www.ostmeerphilharmoniker.com/column_mahler10.php
が掲載されており、少し内容は古くなるがそこに復元史について記してあるので、ご参照願いたい。
 本日はルドルフ・バルシャイの補作版を用いて演奏する。基本的にはクック版に依拠しながらも、トムトム(タムタムとは別)やガムラン様のゴングを投入するなど独特な音色感を持っていることから、第10番補作の初版の中では異端のように目されることもしばしばだが、実際にこの版で練習を重ねてみると、若干感じる奇抜さや違和感以上に、全般的には意外に正攻法で弦をたっぷりと厚く補強していた良版であり、特にフィナーレなどは、マーラーが最終的に到達した境地をクック版以上にたっぷりと味わっていただけるものと期待している。ただ、日本でのバルシャイ自身による実演や唯一のレコーディングは、いずれも譜面出版後、数年経ってからのものであり、金子建志先生の著作によると日本で最初の実演となった都響客演の際には既に、印刷譜に膨大な直しが入っていて大変に苦労されたという記述があり、実際本人の録音も印刷譜面とかなり違うことから、意外ではあるが実演・録音問わず、出版された譜面のまま音が鳴るバルシャイ版演奏としては、本日が日本で初めてのことになる(譜面通りに演奏できるかどうかは不問に付す)。・・・・・・

なお、前半のモーツァルトK.595は、マーラーに比べるとオケに至らなさが目立ったと、私には見えました。特に一部弦パートにビブラートをかける人とかけない人が混在していたのが、現在のモーツァルト演奏の難かしさ、混乱ぶりを、垣間見た思いでした。ピアニストは素晴らしかったです。

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岡本 浩和

>雅之様
ご報告ありがとうございます。
こういう一期一会のコンサートこそ日頃の渇きを癒してくれるオアシスですね。
その場にいて聴いていない者にとっては何とも歯痒く思います。
僕はマーラーの10番については以前から申し上げているように勉強不足で、なかなかこれといって語れませんが、ますます深く追求してみたくなります。奥深いですね。

いくつかご紹介いただいたサイトについても勉強させていただきます。ありがとうございます。

なお、モーツァルトのソリストは田村響くんでしたよね。ロン=ティボー優勝直後に東京で小さなリサイタルをやった時に聴きましたが、なかなかの腕前で感動したことを思い出しました。
http://classic.opus-3.net/blog/?p=2897

ちなみに、本日午後スクロバチェフスキ&N響の第9を聴きに行きます。10数年ぶり(?)の実演です。
楽しみです。

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雅之

そうそう、田村響さんは音も美しいし技術的にも万全で、将来大家になりそうな予感がしますよね。昨日のモーツァルトも流石と感心しました。

ただ、前半プログラム終了前のアンコールが、なんと彼のソロによるショパン.「華麗なる大円舞曲」op.18だったんです。これがまた輝かしく素晴らしい演奏だったんですが(ある層の客には大好評でしたが)、コンサートの曲目、性格を考えると、もうちょっと空気読んで欲しかったなあ(笑)。ピアニストの興味は、別なところにあったのでしょう。

スクロバチェフスキ&N響の第九は楽しみですね!! 羨ましいです。
仕方がないので、私はテレビで楽しむことにします(笑)。

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岡本 浩和

>雅之様
なるほど、アンコールがショパンだったとは!!
名演だったとはいえ確かに微妙ですね。
しかし、そういうことは意外に多いですよね。
プログラムにそぐわなければアンコールなしでも僕は良いと思いますが。

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高橋広

初めて書き込みをさせて頂きます。わたくしはバルシャイ版マーラー10を演奏したオストメールフィルのコンサートマスターを務めておりました、高橋と申します。

雅之様
わたくしどもの演奏会につきまして、過分のお言葉を賜り、本当に有難うございます。

>一回の演奏会にかける意気込みと情熱と愛はプロを明らかに凌ぐことがよくわかる、奇跡のようで結果は必然の超名演でした。喘ぎ、叫び等、この曲が持つ、身の毛もよだつようなおぞましさ=見てはいけないものを観る芸術の醍醐味、凄まじさの表出は、ある意味、プロではためらう領域かもしれません。

という雅之様のお言葉は、我々が「もしマーラー10を愛するお客様がこう感じてくれたらどんなにか嬉しいだろう」と願ったまさにそのもの、というよりそれ以上でありまして、演奏者として最高の喜びをかみしめております。本当に有難うございます。

わたくしにとっては、マーラー10全曲版演奏は5回目(1998年19世紀オーケストラ、2004年オストメールフィル、2005年千葉フィル、2011年ル・スコアール管、2011年オストメールフィル)の挑戦でしたが、初バルシャイ版とはいえ、ようやく5回目にして全曲版をほぼ手中に入れるというか、自信を持って演奏出来たように思います。

とはいえ今回の成功は、東京や神戸から演奏賛助のため手弁当で駆けつけてくれたマーラー10を愛する仲間達や、バルシャイ版のキモともいえる膨大な打楽器陣に関して全面的かつ献身的にバックアップをして下さったトラの方、裏方で頑張ってくれたスタッフ、さらには雅之様のようにマーラーやマーラー10を愛するお客様、そしてこの偉大な曲を書いたマーラーと補作者バルシャイ、そのすべてに助けて頂いて、初めて成り立った成功でした。その点は決して忘れてはならないと肝に銘じております。

最後に、拙いながらもここまで音楽祭完遂に向けて努力してきた我々に過分なご評価を下さったことに改めて御礼申し上げます。本当に有難うございました。

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雅之

岡本さん、場所をお借りしすみません。

高橋広様

思いもよらぬ場所で、先日のコンサートについての感想を読んでいただき、まことにありがとうございます。恐れ多い限りです。

私はバルシャイ版のスコアを銀座のヤマハ店で数年前に買い求めてから、ずっと偏愛しながら、またクック版などと比較しながら毎日のように眺め続けており、それを今回のような素晴らしい演奏で忠実に音にしていただいたのを初めて聴けて、本当に感激し、感無量でした。高橋様をはじめとするオケの皆様に、どれほど感謝してもしきれません。上に書きました通り、VPOでもBPOでも、プロでは今回のような真に迫った表現は中々できるものではないと想像しております。申し遅れましたが、曲で登場する高橋様のソロも最高に美しく、かつ曲への愛情が強く伝わり、非常に聴き惚れました。

ところで、じつは今回の「名古屋マーラー音楽祭」では、10月9日の名古屋シュピールシンフォニカーによる「大地の歌」他の演奏会に、職場の同僚の女性がFirst Violinで参加しており、その関係で、仕事上の都合もありまだはっきりしないのですが、ひょっとすると来年7月のオストメール・フィル様が中心の「千人の交響曲」に参加できるかもしれなくなってきております・・・、などと申しますと、段々私の身元も明らかになってしまうのですが(笑)、いずれにせよ、来年はどこかのタイミングで必ずお声をおかけする機会があると思いますので、その際はマーラーに限らず、博識と演奏のご経験豊かな高橋様から、ぜひとも音楽についていろいろとご教示いただければと、心から夢見願っております。

最後に、来年も高橋様の益々のご活躍をお祈りいたします。

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岡本 浩和

>雅之様
いえいえ、とんでもございません。拙ブログでこのようなリアルなやりとりを拝見できること自体恐縮の限りです。

>高橋様
はじめまして。コメントをありがとうございます。これもひとえに雅之さんがほぼ毎日のように私のとりとめのない記事にコメントをいただいていたからです。私の方からもお礼を申し上げます。ありがとうございます。
東京在住の私はなかなか高橋様の演奏を聴く機会は持てないとは思いますが、今後も素晴らしい演奏を皆様にお届けください。蔭ながら応援させていただきます。
今後ともよろしくお願いいたします。

返信する
高橋広

雅之様
重ねての過分なお言葉、本当に有難うございます。バルシャイ版への愛情が滲み出る深い洞察に満ちた文章を書いておられる雅之様からそのようなお言葉を頂けるのは大変に光栄です。心から御礼申し上げます。

また、ご同僚がシュピールさんの演奏会にファーストでご出演されていたのでしたら、わたくしもお話をさせて頂いた方かもしれませんね。マーラー8につきましても、これだけ深く熱くマーラーを愛しておられる雅之様にご参加頂けるのでしたら大変に心強いです。こちらこそお目にかかれました節は、是非色々とご教示を賜りたく、よろしくお願い申し上げます。ご一緒させて頂けますのを大変楽しみにいたしております。

岡本様

岡本様のブログですのに、突然場所を借りてしまうような形となりまして、大変失礼いたしました。ご配慮に心から感謝申し上げます。
また、これを機会に岡本様の大変読み応えのある日記の本文と、中身の濃い雅之様とのやり取りを大変楽しくまた深く楽しませて頂いております。折に触れ、また訪問させて頂ければと思っておりますので、どうか今後ともよろしくお願い申し上げます。

お二方にとりまして、来年が更によい年となりますよう、心から祈念申し上げます。それでは失礼いたします。

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