カルロス・クライバー指揮ウィーン・フィル ニューイヤーコンサート(1992.1.1Live)を聴いて思ふ

1986年5月、カルロス・クライバー指揮バイエルン国立管弦楽団の来日公演を聴くことのできた僕はやっぱり幸運だったと思う。ただし、30年以上前の人見記念講堂でのコンサートの様子はわずかに脳裏に映像として残っているものの、肝心の「音」の記憶が極めて薄い。音楽は鮮烈だったことは間違いないのだが、おそらく当時22歳の僕の、音楽のインプット能力は極めて低く、同時に印象を言葉にするアウトプット能力がまだまだ発展途上にあったからだろうと思う。

2度目のチャンスは意外にすぐに訪れた。
1992年3月のウィーン・フィルハーモニー創立150周年記念来日公演にカルロス・クライバーが帯同することになったというニュースは巷間相当な話題になった。確かチケットは即刻ソールドアウトになったのではなかったか。その年、彼は(1990年に急逝したレナード・バーンスタインの代役で)ニューイヤー・コンサートに2度目の登場を果たし、聴衆の熱気溢れる楽友協会大ホールで、恐るべき名演奏を繰り出していた。その記憶が真新しかったものだから、公演が近づくにつれ僕の心は期待に満ち溢れ、彼の音楽に再び逢える喜びに魂が躍った。だからだろう、直前に来日が(病気療養のため?)キャンセルになったことを知ったときの無念さといったら・・・、もはや言葉にならなかった。

そして3度目のチャンスであったにも関わらず、1994年のウィーン国立歌劇場引越し公演「ばらの騎士」は、当時ほとんどオペラに関心がなかったという理由から、僕はチケット争奪戦をスルーしてしまった。よもやそれが最後になるとは思ってもみなかったので、「目前のチャンスは何が何でも取るべし」という教訓を置いて、今となっては何とも後悔しかない。

カルロス・クライバーは、音楽の「いまここ」を僕に教えてくれたおそらく最初の人だ。正規に残されたわずかな録音や映像を視聴するにつけ、(たとえそれが過去の記録であったとしても)彼の躍動する音楽に、文字通りたった今目の前で音楽が創造される喜びを僕は知る。そして、その場に居合わせることのできた聴衆同様、心魂がつい熱くなる自分に気づく。

創立150周年記念1992年ウィーン・フィル ニューイヤー・コンサート
・ニコライ:歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲
・ヨハン・シュトラウスⅡ:ポルカ・マズルカ「町といなか」作品322
・ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「オーストリアの村つばめ」作品164
・ヨハン・シュトラウスⅡ:ポルカ「観光列車」作品281
・ヨハン・シュトラウスⅡ:オペレッタ「ジプシー男爵」序曲
・ヨハン・シュトラウスⅡ:ワルツ「千一夜物語」作品346
・ヨハン・シュトラウスⅡ:新ピチカート・ポルカ作品449
・ヨハン・シュトラウスⅡ:ペルシャ行進曲作品289
・ヨハン・シュトラウスⅡ:トリッチ・トラッチ・ポルカ作品214
・ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「天体の音楽」作品235
・ヨハン・シュトラウスⅡ:ポルカ「雷鳴と電光」作品324
・ヨハン・シュトラウスⅡ:ワルツ「美しく青きドナウ」作品314
・ヨハン・シュトラウスⅠ:ラデツキー行進曲作品228
カルロス・クライバー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1992.1.1Live)

26年も前の記録であることを忘れるほどの臨場感。
相変わらず速めのテンポで音楽に颯爽と切り込むカルロス・クライバーの棒は、たぶん楽員に相当の緊張を強いたのだろう、ワルツもポルカも、どの瞬間も生き生きと引き締まった響きを醸す。冒頭、オットー・ニコライの「陽気な女房たち」序曲の繊細さ、そして陽気な歌(音楽の喜びここにあり)、あるいは、「天体の音楽」における得も言われぬ詩情。
ここには、静と動の機微を巧みに操ることのできたカルロス・クライバーの天才が見事に刻印される。何よりアンコールの「美しく青きドナウ」!!言わずと知れたこの名曲が、(今更ながら)何と新鮮に響くことか。

 

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